穏やかなパーソナリティーの形成を計ろう
人社会の中に生きる人として「穏やかなパーソナリティーの主」は、とても豊かな人生を歩む力の一つを備えているといえます。それは、生を受けて誕生し、終焉を迎えるまで、人との出会いの連続の中で経過していき、その出会いはその人の人柄(人となり)が軸になる展開になるからです。このセオリーは、暗黙のうちに共有する認識になり、あらためてクローズアップされることも少ないのですが、何人であっても人としての備えの根本として認識し、その育み過程を確認し、障害のある方への計り方の留意を明確にしなければならないかと思います。
そのためのポイントをおおざっぱにですがあげ、それらのポイントからの障害の障害のある方への留意を整理したいと思います。
まず、どの人にも必要なことは、各人の存在価値が明確なことです。
そのポイントとなることを考えてみます。
1.各人の誕生が喜びの中に受け止められている。
-100%の受容による自己存在の確認を得て、人への信頼感が芽生える
2.各人の育ちの各々のステージにおいて、本人の存在が「是」として受け止
められている。
3.育ちの各ステージの内容(発達の様子)について、絶対評価の視点で価値
ありと評価される。-自己存在としての是認-
4.各人が困難に出会った際、周囲の出会い方として、否定されず的確なサ
ポートを得て、困難を克服する実績を得る。-自信・克服力・挑戦力-
5.社会には、様々なタイプの人があり、己もその一人であり、その集合体と
しての社会である故の他人に対する捉え方・出会い方・つきあい方につい
て、己の器についての自己把握と許容・拡大への模索をし続ける態度の熟
成。-無限大-
等々が要件になるかと思います。
健常な人の場合には、1~3が充足されて経過した成長過程があれば、4~5は各人の歩みの中に、出会いの諸々の実態との関連を経て進展していくのだと思います。
この経過は、障害がある方であっても、ポイントとしては同様だと考えます。
ところが実態を項目ごとに捉えてみると、かなり異なりがあるようです。
そこでここからは、障害のある人の場合の、異なりになりやすい点を挙げ、テーマに向けて、誤った道にならないようにすることも加えて述べたいと思います。
1.各人の誕生が喜びの中に受け止められている
~100%の受容による自己存在の確認を得て、
人への信頼感が芽生える~
子どもの誕生について、喜びの中に受け止められての瞬間であることは変わらないでしょう。しかし、生後間もなく障害のあることが判明した場合はどうでしょうか。
関係した医師の多くが「お子さんの障害診断の伝えは、考え悩むところで、親御さんの側の受け止めを考慮し、両親揃った場で伝えるようにしている。」と話されます。ということは、お子さんの状態が単なる一過的な病気ではなく、医学的治療によって解消する対象ではなく、治療されながらもベース的に継続していく状態であることを、お子さんの育ちを考えて誤らずに伝えることの厳しさがあるからです。
その伝えを診断として告げられた両親は、どのように受け止めをされるのでしょうか。殆どの方は、健常な子を基準に心得を持っておられる状態にあるところへの、障害のあることの伝えが、すんなり理解できることにはならず、混乱と葛藤の中にあっても、何ら不思議ではないのです。なぜならその事実は、出会うまではこの件の現象は、自分には関係のない事であり、直結する当事者ではなかったのですから。しかも誕生の喜びと子育ての厳しさが同時に来て、親としてどう対処していけばよいかを導き出すには、あまりにも大きく重い課題に遭遇されていると察することが出来るからです。
とはいえ、子ども自身に軸を置くならば、100%の受容による自己存在の確認を得て、人への信頼感が芽生える道を経過させねばなりません。なぜならば、親として100%の愛情を注げるゆるがない心情を得て親となり、子育てをしていけるために、障害のあるわが子、わが家族の出現に対しての納め (悟りともなるのでしょうか)をして頂くことから整えなければならないのです。
この親と子の立ち位置を確認する時、必須になさねばならないことが適切な早期診断を受け継いでのファミリーサポートの実際です。それが不十分であれば、親はわが子の誕生に対する100%の喜びの受容を継続することは困難でしょう。
何としても子育てに真摯に向かう親御さんの心情を創出し頂くために、ファミリーサポートは進められなければなりません。苦悩に葛藤する親の心情に寄り添いながら、障害についての理解のための適切な解説、一人ではないこと、そしてその子なりに育っていくことを。
そのために愛情をいっぱい注ぎ、手をかける関わりを続ける中に、わが子の育ちの姿を見て、楽しみを感ずること等々、細かく事象を通しての共歩です。そして人として生まれ、人として生きるわが子の命と、育ちへの担いに立ち上がっていただく支援です。育児の実際を共に進め、心情共有を十分に持っての進行です。この時間は短いに越したことはありませんが、各々です。その間、じっくりとサポートを続けていく実践が必要です。子どものこれからの育ちのため、もちろん、 家族の生き方のうえにゆるがない心の基盤を創りあげるためにです。
関係するすべての人の心を、子どもの育ちのスタートに注ぐことが求められるのです。
2.各人の育ちの各々のステージにおいて、本人の存在が「是」として受け止められている。
人が自己存在の確認を得て、他者への信頼関係を築いていくには、本人の存在を「是」として受け止める周りの人がいなければなりません。しかもそれは一過性のものではなく、各々の各ステージにおいて、重い軽いの差はありますが大きく影響する核となるものです。
育ちの各ステージでは、周りの人が本人の障害特性について、気づき理解していなければ、本人と関わる者との間で齟齬が生じます。例えば、知的障害であれば「知的なところが弱く、何もできない、わからない」と思われたり、自閉性特性があれば「自己本位で関係性がもちにくい、コミュニケーションがとれず扱いにくい」という見方になりがちです。これでは本人を捉える見方はマイナス方向が多くなり、本人の存在を「是」として受け入れるには困難を生じるでしょう。
人を受容する心のつくり方は、理解することから始まります。そこで障害のある方への正しい理解を得るうえに、知的障害のことを例にお伝えしましょう。
本人の胎生期から出産・乳幼児期いづれも個体として育つすべての時期のいづれかで、脳に損傷を受ける疾病をはじめ様々な出来事に出会い、その結果、脳がおかされた後遺症としての姿があります。
人間の身体は細胞が単位で成り立っていますが、その細胞には性格があり、脳の細胞は一度傷ついたり、死んだ部分は現代の医学では再生しないということなのです。すると、残された細胞をフルに働かせて生きていくことが余儀なくされる、ということになります。この姿を「何らかの原因による後遺症として認識する」というものです。
即ち、ダメージを受けた脳細胞の不可逆的な状態であることは、その「残存能力を力として生きていかなければならない」ことにならざるを得ません。その意味 で、彼ら一人ひとりを「是」として受け入れていくことは、正しい障害認識を持つことです。
人に対する正しい認識とは、人間に対する価値観のことで、ノーマライゼーションの視点です。その視点は障害があろうとなかろうと、人としての「個の尊重」につながるのです。
その価値観の大切な視点となるのが「絶対評価」です。人に対する評価は、社会への貢献度や有用性で決まる相対的なものではないのです。絶対評価の視点は一人ひとりがどれだけ自らの力を発揮しながら人らしく生きるかとする考え方です。そこに自己実現に至る道があるのです。
要約すると、部分は弱くなっていますが「感性」はダメージを受けていないということです。知性と感性のアンバランスがあることです。適応力・判断力・自律性・学習の理解力等の弱さがある一方、感性は鋭いということです。
実際場面を例にとってみます。
〖 いつも食事をこぼしてしまう利用者さんがいました。こぼさないようにと、繰り返し声をかけながら、ときに手を取って介助をしながら、こぼさない食べ方を教えていきました。しかしなかなか上手くいきません。 〗
この状況で二人の支援者の関わりを見てみましょう。
ある支援者は、皆ができていることができないので、イライラした態度をとってしまいました。その利用者は、こぼさないで食べるどころか、怒ってごはんをひっくり返してしまいました。翌日は悲しくなって泣き出しました。以後この支援者の言うことを聞いてもらえなくなりました。
別の支援者は、彼のことがよくわかって、丁寧にやさしく関わりました。するとその利用者はとても素直に意欲を見せました。そしてその支援者はその利用者から頼りにされる存在になりました。
後者の支援者は絶対評価の支援で利用者を受け入れています。彼らは感性が残存能力の一つですから、それをアンテナとして人を知ろうとし、自分にとってどんな人かを捉えようとします。理屈がほとんど通じず、弁解は役に立ちません。その意味で、絶対評価の視点で本人の存在を「是」として受け入れるということは、人間対人間の付き合いとなるだけに、そこがなければ「穏やかなパーソナリティー」は育っていかないのです。
次からは「穏やかなパーソナリティーの形成」のための3番目の項目として、育ちの各ステージの内容(発達の様子)について具体的にステージを分けてみていきます。
3.育ちの各々のステージの内容(発達の様子)について、
絶対評価の視点で価値ありと評価される
-自己存在としての是認-
絶対評価の視点で本人の存在が「是」として受け入れられているということは、人間対人間の関係性において大切であることを確認しました。障害があるとはいえ、彼らもすこやかに育ち、人間らしく幸せな人生を歩む権利があるのは当然なことであります。関係性の内容は、各ステージで絶対評価のもとで自己存在を是認されて成立するものなのです。
各ステージを5つのライフステージに区分し、「自己存在を是認」されるための留意点をあげ、また、自閉症スペクトラム障害への配慮点もあげてみます。
【1】乳幼児期編
この時期は、全面養護の下に一日を過ごすので、育児者側の在り方が要になります。そしてこの間に子供は愛されることで人を信頼する芽、即ち愛着形成をすることになります。そこでどの子であっても、愛情をもって規則正しい生活の中で丈夫な体を作るように努めていきます。
障害のある子供は、生理的三原則(食べること・眠ること・排泄することをいい、生理的営みの基本)を整えることに大きな課題を抱えるため、健康状態を維持していくことが難しくなります。それに伴い、親が悩み、不安を感じ、いら立ちを感じることもあるでしょう。親の揺らぎは、子どもの自己是認に影響を与えます。そこで支援としては、生理的三原則を整えることに重点を置き、丈夫な体づくりを心がける中、親との関係が築けていくことに最も留意します。
よって親は、子どもが快いと感じられる環境づくりに留意します。子ども各々の特徴や関心の持ち方などを関わりの中から捉え、子どもに通じる関わり方を選んでいくことになります。快く親と共に遊ぶ過ごしの体験を積み上げていきます。このかかわりが、人との信頼関係を構築する機会なのです。例えば表現する際の例として、誉めるときにはオーバーアクションで表現し、子どもが承認されていることを実感できるようにします。この物差しは、子どもの表情や反応で捉えます。こうした関係性の中で自己存在を是認できていくのです。
自閉症スペクトラム障害の乳幼児は、おとなしくて手がかからない・人見知りがない・もしくは乏しいといった様子を見せたり、時にはちょっとした刺激に過敏に反応し、泣いてばかりいる・睡眠が乱れるといった様子を見せるようです。こうした子どもの様子は、働きかけに対する反応が予想通りでない姿になります。そのため、親もどのように関わってよいかわからず、結果的に親が子どもへ働きかけることが少なくなっていくようです。しかし、この時期にこそ子どもが快と感ずる関わりを留意し、子どもに愛着形成を図ることですから、子どもの反応を手がかりに、スキンシップや顔を見て表情を捉えます。スキンシップを心がけ、視線を合わせての発声や表情を介した関わりをしていくことが大切なのです。
その後、歩き始めるころになると徐々に勝手に動き回るようになります。それに伴い親は育てにくさを実感し、親としての不全感にさいなまれるようです。そこでこれらの行動(視線が合わない・呼びかけに応じない・指さしをしないなど)が気になり、受信し、診断を受けます。大切なことは障害があることの診断についての咀嚼です。子どもの行動の特性をきちんと理解し、その特性を留意した子育てを意識することなのです。
支援者の心得は、乳幼児期は障害のある子どもであっても、育ちの土台を形成する時期であり、子どもの内在する力を発揮させるために育むべきことを心得ておくことが必要です。それは人を信頼できる愛着形成する人間関係の成立です。その心得を親に伝え、支えることは、障害のある子どもを抱える親への支援として重要です。なぜなら、親の関わりいかんによって、子どもの人格に歪みを生じさせるかどうかが決まるからです。そのため、親が「この子を育てていこう」という覚悟ができるように支援する必要があるのと同時に、その覚悟ができる「人」の存在が欠かせないものとなるのです。
【2】学童期編
学童期は学校教育が育みの場として位置し、9年間の教育の時間が介在します。しかも他の時期と比べて発達が旺盛な時期でもあります。そこでこの時期を逸しないように心身ともに着目していく必要があります。
さまざまな体験を通して学習していきます。体験を通して、子どもの内在する力を高めると同時に、子どものできることを増やすことによって、子ども自身が自分の力に自信を持てるようになり、それを積み重ねることで自ら挑戦しようとする意欲的な姿が見られるように育みます。
こうして得た自信や意欲は、学習や活動、さらには作業に向かう態度形成のベースになります。そしてさらに自主性や主体性が育ちます。これらは内面的な力でもあるので捉えにくいのですが、細かな留意した育みによって、しっかり祖育っていくともいえるのです。
各々の絶対評価視点を持ってスモールステップを図ることです。この進め方の配慮としては、コミュニケーションが双方にとれていることが鉄則です。その実際は子どもの発達に応じたコミュニケーションの取り方を工夫し、丁寧にやり取りしていくようにします。
結果として子どもは、自分の意向を聞いてもらえ、意思を尊重するかかわりを感じ取り、自己存在を是認できるのです。
自閉症スペクトラム障害の子どもは、人との適切なかかわりがわからず、本人も困惑することが多くなるようです。その一方で本人の示す行動は「是」とならないこともあり、その結果、本人の気持ちに反して注意されたり叱責されることが多くなり、自己肯定感が低くなっていくようです。
この行動の背景が子どもの特性に関係していることに気づき、自己肯定感を得る適切なかかわりをしていくことです。外界の刺激をキャッチする五感に偏りを見せることが特性にあげられるので、その子の受け止め方を捉え、共通する認識になっているかを確かめたうえで、捉え方に合わせたアプローチになることに留意しなければなりません。
コミュニケーションの取り方への配慮が重要になります。人と関わりたい・認めてもらいたいという気持ちが育まれている時期です。自己肯定感を高めるためには、本人の自信のあることや楽しめることを見いだし、それを媒介に人との関係をさらに深めていけば自己存在としての是認につながっていきます。
学童期の重要性を認識して、かかわりをもつ側のすべての人たちが子どもの特性を把握し、その関連による行動の本意を解釈したうえで、各々の子どもに応じたスモールステップを図っていく育みを貫くことになります。
思春期は、心身ともに大きく変化・成長する時期にあたることから、前期後期に分けて扱い「自己存在を是認」されるための心得について記してみます。
【3】思春期(前期)編
思春期のテーマは心身の変化に対する乗り越えです。ここを念頭に置いて適切な支援につなげることが、穏やかなパーソナリティを育むことになります。
人は誰しも人生の途上で心身ともに大きな変化を伴う思春期を迎えます。この時期も他の時期と同様、決して飛び越えることのない時期です。障害のある子どもは、その障害ゆえに、自らの変化に気づき、訴えることに困難を抱えています。さらにその時期特有の複雑な心理状態を自らの力で伝えたり、受け止めたりしながら乗り越えていくことが難しいため、関わる側も難しく感じるようになるのです。そこで思春期特有の気持ちの変化を洞察しながら、適切に支援することが求められるのです。
この時期のまずの変化は、身体発達が第2ステージに入り第二次性徴を迎えるということです。すなわち、身体的には性差が明確になり、成熟に向かうことになります。しかもその年齢は、どんどん若年化し、女性は11~12歳で初潮を迎え、男性も骨格や変声が13~14歳で現れます。この変化はホルモンバランスが変化することによる現象です。そしてその姿は、自然に現れる成長として捉え、早期になっているといえます。このように身体的・生理的変化を自然・当然なことと認めることを知りましょう。
同時に、前述の身体変化と相まって、精神的変化も成長として現れます。それは内面性として、自我が明確になってきますので、おのずと自己主張が強くなります。また、衝動性に誘発され、ストレートな表現になる行動として現れてきます。
こうした事柄は、障害とは関係なく心身の変化として起こるのですが、それらがどのように個体として表現されるかになると、知的な障害のあるこの場合は、コントロール力の異なりがあるので、その行動勅はかなり個々で異なりを見せることになります。しかもその行動は、多分に周囲の人が困らされることに出会うことになり、周囲の者は、当然のこと、その行動を止めにかかり「ダメ」という対応になりがちです。「ダメ」対応を多く受けた本人は自信を失い、自己存在を否定されているとさえ思うようになります。そのプロセスが、パーソナリティ形成に負に働いてしまうのです。そのことを念頭に、本人の気持ちに目を向けてアプローチをしていくことが必要です。
そのためには、思春期前期に認める心身の変化メカニズムを理解すること、そして関わる人は意識の切り替えが大切になります。行動から見た是非の対応を取る前に、どのような心身のアンバランスがあるのかを各人に対して捉え、行動の要因を把握しながら、要因理解の上に立った解決の道筋を考えながら、本人のわかる力に合った対応を取っていきます。特に性に関する事柄については、当然異性との関心も芽生えてきますから、同性が対応することを基本として、行動のとり方を伝えます。本人が行動の物差しを社会に通用する線を得ることを目標とします。
そのプロセスでの実際的対応は、本人を尊重する姿勢を常に保ち、本人のできているところ、わかっていることは見守り、是であることを確認します。助けるところは、本人の課題になる部分に絞ります。しかも、決めつけ・押しつけはせず、同時に禁止・叱責は避け、解決・提案・促しを心がけます。この状況下では、関わる人は「待つ」ことが求められますが、ここで口うるさくなると、本人はその対応に拒否の反応をし、本来の目的が届かない結果となります。そのうえ、自己否定されたと捉えてしまい、自己是認感が失墜するのです。かかわり方は、本人の受け止め方を前提に、丁寧に関係性を保ち、さらに構築する方向への留意が必要になります。
自閉症スペクトラム障害の子も心身の変化は同様です。特に身体的変化と相まって、感覚の傾向がより過敏になるため、知覚過敏も強くなり、新たな過敏性(知覚変容現象)も生じるようになります。そのために、より行動がストレートになり、反抗心が重なり、情緒不安定な傾向に陥り、パニックが目立つようになります。過敏性に対しては、周辺環境のできるだけの調整は計りながらも、全て整えることは不可能ですから、本人の了解の取り付けを心がけ、折り合っていける線を求めることになります。
折り合うラインを双方が認識できることが大切です。本人のコンディションは捉えていることを伝えながらも、許容される線の理解を丁寧に進めていくことが必要です。
常に、本人の特性を理解しながら、主体的・自主性を尊重した支援の継続です。
この自己表出が多感な時期こそ、絶対評価に立ち、一人ひとりの個性としての理解と尊重の姿勢でのかかわりによって、本人は自己存在を是と認識する礎になるのです。周りの、本人への理解の的確さをもった方向付けをもって、継続した支援が重要となります。
今まで乳幼児から思春期前半まで述べてきましたが、ここで改めて基本を振り返っておきます。
知的障害のある人の心身は、児童期から青年期へと移行する中で、著しい変化を見せます。「小さくて、今までは言うこともよく聞いてくれたのに…」それがそれが、「体が大きくなって」「自己主張が強くなって…言うことを全然聞いてくれないんですよ」というつぶやきが、まわりの人からよく聞かれます。それは計らずも、青年期の体と心の特徴をよく言い当てているといえます。
体が大きくなって大人と背丈を競い、心も独立して自分の意向をはっきりと持ち始める青年期。今までは言うことをよく聞いてくれていた子どもが、独立し、気持ちのよくつかめない大人に変身してしまう。そこで周りの大人は、青年期の子の激しい変化に驚いて、的確な対応ができず、そればかりか知的障害のある人たちの青年期は、その対応が原因となって、さらに問題をこじれさすことも少なくないのです。順調とか充実という言葉が当てはまりにくい現実に会うことも起こります。
青年期が人生に占める意味を考えてみましょう。
まずこの時期の反抗ないし自己主張は、独立した人へと育つ機会として積極的な意味を持ち、独立へのステップを踏み出そうとしているのです。さらに乳幼児期・児童期・青年期・成人期・老年期というライフサイクルから見て、成人期は最も長い時間経過となります。それゆえ、支援の意味は最終的には成人期の姿をもって評価されてよく、それを準備する青年期支援の割合は重責です。さらに、もしゆがんだ人格形成をしてしまった場合の青年期とは、彼らが円満に育つための、事実上のラストチャンスであるという点です。
青年期支援が知的障害の人に担う役割の大きさを、あらためて確認しましょう。
では青年期に望ましいのはどのような支援なのでしょうか。
まず確認しておかなければならないことは、青年期支援という特別なものがあるわけではないということです。児童期で受けた支援の延長上に、青年期の支援が積み上げられるのです。児童期の基礎がしっかりしていて初めて大きな伸びが期待できるのです。
これを前提とすると、青年期に望ましい対応は「自分の心を持ち始めた彼ら」の欲求に沿う課題を準備していくことです。自己主張の強くなった青年期には、その独立心を否定したり、今までのように一つひとつ隣について間違いを指摘したりするのではなく「自分のできることを教えて身につけさせていく」ことです。自分でできることを自分の力でやる中で「できるんだ!」という深い実感を味わいます。この実感を根拠に自信が自然とついていくのです。たとえ小さな一つの手柄から得た自信でも、やがて一つひとつの小さな自信が集結され、成人期を準備する「意欲」を形成していくのです。能力の高い低いとは無関係に「できるんだ!」という実感と自信と意欲が融合する姿になるのです。
一人ひとりの人格が生み出され、気持ちの豊かさが青年期の顔の中に創られるでしょう。ここで得る充足感は心のゆがみを解き、行動障害をおのずから軽減する結果も生んでいきます。知的障害の内容は、単純な精神遅滞であったり、自閉症を合併していたり、中度であったり、重度であったりと多種多様です。一人ひとりの利用者の実態を踏まえた作業や活動が工夫され、個が発揮される内容に出会わなければなりません。やさしい作業・活動から難しい作業・活動へと各人を発揮させるための創意工夫です。
彼らの成人期の、より快適で豊かな人らしい生活の実現に向け、一人ひとりの適性に再度光を当てる生活を描き、支援の在り方を考えていきましょう。
青年期は、成人期をしっかり生きていける力をはぐくむことが課題となります。
青年期には、障害が重いと言われる人たちであっても、作業・活動を通して「何かがやれる」ことを知ります。そして、この「やれた」ことを認められる経験を持つことによって彼らは喜びを味わい、自信を持ち、積極的な行動を起こし始めるのです。
それが、新たな次の「何か」に向かわせます。この循環こそは、生きていく力をはぐくむ基本であり、障害の有無を問わないのです。
ただ、知的障害のある人の場合は、一人ひとり独自な個性を持っているため、何がやれるかを見いだしてもらえることは難しく、まわりの支援者がそれを外したときは、決定的な分かれ道となってしまうのです。
このように「何かを見いだしてもらい、支援を受け、会得する」のは、彼らの障害からくる学習のしかたの特徴なのですから、彼らの人生は、まわりの支援いかんによると言っても過言ではないのです。
「名馬は常にいるのだが、馬の才能を見いだす名伯楽(馬の調教師)がいない」のと同じなのです。彼らの力を培うまわりの者のありかたが問われるのです。まわりの者は、この立場を十分わきまえて彼らと出会っていきましょう。そこに、支援者としてのだいご味もあるのです。
この点から、まわりの者は彼らをどう受け止めているのか、どんな生き方をしてもらいたいと願っているのかについて「自らに再度問うこと」が必要ではないでしょうか。彼らを伸ばすも摘み取るも、せんじつめると、まわりの者しだいなのです。
障害を持ちながら就労に取り組む人たちも、これからくず葉に入ってきます。それは、まさしく、各々の主体的生き方の姿です。確かに、少なからぬ支援を必要とする人たちではありますが、しかし、それぞれが自分なりに障害を受容しながら、各人が持っている能力内で十分に自立していればよいのです。彼らの障害は、全人格的な障害ではありません。一人ひとりが能力内で自立している事実の重みを、あらためて確認しましょう。
能力開発と、円満で意欲的な人格形成へのアプローチについて、作業や活動を実際に展開する際の配慮と与え方を考え、捉えておかなければなりません。
活動の種類はたくさんあってよいでしょう。また、作業や活動を与える際は、対象者をよく捉えたうえで、実際に即してしっかり考えることから始まります。私たちの仕事は、試行錯誤の連続です。つまりは、現場での創意工夫がより大切なのです。たくさんの利用者さんと出会う経験の中で、苦労して得たノウハウが蓄積されて初めて、個々に応用可能となります。
アプローチのしかたは、一人ひとりの現状における人格像をとらえながら、これまでの育ちを振り返り、期待過剰にならず、あきらめず、十分吟味しながら進めることが基本です。
また、困難に直面しては事態を直視し、柔軟に思考し、大胆に試みる実行力を備えていくことです。
自らの人生を歩み続けるのに、強く生きていける力をたくさん得られる支援を具現していきましょう。
私たちは、それへの努力を惜しんではならないと思います。
【4】思春期(後期)
思春期後期のテーマは「自信を持ち、意欲を育む」ことです。
この時期は、その人の内面が行動でいろいろと表に出てくるころになります。知的障害のある子どもの体もしっかりと育っていきますが、物事を理解する力には弱さが見られるため、いろいろな方面で自己本位さが目立つようになります。自己本位の傾向が強くなる行動は、周囲の人を悩ませ、大変さが顕著になっていきます。
その特徴として
・本人の葛藤は、感性が鋭いだけに大きい。
・思うようにならない部分に対する行動の示し方が多様である。
・自己主張が強くなり、状況の認識が弱くコントロールされにくい。
・内的衝動が強くなる。
・自然な発達段階として、異性への関心が現れる。
・理解に応じて将来の不安が生じる。
・合併症に変化を見せることもある。
・こだわり等、障害特性が強く現れるようになる。
これらを踏まえて、結果的には本人のコンディションを承認しながら、本人の内省状態をとらえていくことが大切になります。
そこでテーマは「自信を持ち、意欲を育む」ということになりますが、意欲の前提には自信が必要になってきます。
ここで大切なことは、何をもって本人の自信とさせるかですが、その何かは個々によって異なることを踏まえましょう。「本人が自信を持つ」ということは、各々に周囲が期待をかけた結果、自信がつくのではなく、本人の内面からくる意欲から達成感や充実感の積み重ねがあり、そこから得られるものなのです。となると、本人の力と課題(何?)のマッチングは必須のポイントです。支援者は、そのことを間違えないで進めることが鉄則です。意欲は自信の構築から芽生えさせて、育むものであることを整理して進めていく必要があります。
いろいろと困難な行動を示すこの時期に、本人の意欲を喚起して地震につなげる支えをすることは容易ではありません。ついつい過剰な支えや、手に負えなくなって貴重なこの時期を逃してしまうことも出てしまいます。
しかし、この時期は本人がしっかりと社会に出る準備をしていく時期なのです。障害のある方々との出会いを通して「この人は、あの時にちゃんと周囲の支えがあったら、もう少し違ったのかもしれない」と悔いるときがあります。そうした出会いにならないようにしたいものです。
人の育ちが適切でない場合には、修正していかなければなりませんが、その現実も受け止めていかなければならないのも事実です。
人生は一度しかないのですから、修正されることなく、スムーズに歩まれることを願っています。
故に我々は、この時期の大切なポイントを知って支援を進めることが重要です。
【5】青壮年期 編
青壮年期は、人生の中で最も長い期間です。30年から40年を想定してよいでしょう。この時期を歩む障害のある方との出会い、「とても順調に年を重ねてこられた方だな」と思える方もあり、残念ながら「内在している力があまり発揮されておらず、人柄も屈折しているところがあるな」と思える人もいます。
前者の方は、これまでの育ちの経過をひもとくと、しっかりとした「人を信頼する、人との関係」を得ておられます。後者の方は、度合いは異なりますが、人との出会いの中で「受け止めてくれる人と出会えず、人との関係に確信を得ていない部分がある」ことに気づきます。
この課題は本人の人格形成の幹になる部分で、その方の人生の歩みを大きく左右するものになるだけに、特に青壮年期にはしっかりと注目しなければならないのです。
この時期になると、彼らは自分をとらえ主張する力も育ってきているときでもあり、「自分には信頼する人がいる。そして自分も信頼されている」ことを感覚として得ていると、そこに横たわる人間関係によって「見守られて歩む安心感」や「壁にぶつかった際の支えを得ている感覚」をベースに、本人は安心して自分を行動で表現することができます。この安心感は、まさに人を信頼できることを確信としている源泉があるからこそなのです。
信頼のベースが不確かな場合は、人社会で生きていく上からも「信頼できる人を得たい」と「相手を試す行動」をとるようになります。その行動で最も手っ取り早いのが、相手の困ることをやり、相手の反応を見て、自分を認めたうえでの対応かどうかを、本人は感性を軸に選別するのです。自分をきちんととらえてくれていることを認めると、「大丈夫だ!!」と納めます。認めなければ「自分は無視されている」のだと感じ、信頼を得られない失望を味わうのです。
彼らの「試し行動」に出会った際には、個の内面に気づき、「人は信頼して良いのだという実感」を得てもらうことが重要なのです。ということは、現象の行動修正へのアプローチではなく、「その行動を起こす内面を洞察したうえでの受け止め」と「表現の仕方について、本人がわかるようにアプローチする留意」が重要になります。
この点への分析をしたうえでの対応になっていかなければ、これまでと同様に「この人もやっぱりだめか」と落胆させる結果になってしまいます。当然その次に関わる人に対しても「この人はどうだろう?」と試し行動を示し、その結果「みんな試したけれども、だめだった!!」という結論になり、本人は「もうお手上げ」だと感じ、「もう修正しようにもやれません!!」となるのです。しかし、「この人は大丈夫」ということを実感できた時には、一つひとつが確かなものになっていきます。つまり、「確かさの実感」が幾重にも重なって、はじめて不信の修正となり、確かな信頼に軸が移っていくのです。
知的障害のある人は、人との信頼関係が一度成立すると、その関係性を人間関係の拠点としていきます。その意味でも、青壮年期の多感な時期に、人社会に生きるために、しっかりとした信頼関係の確立を図っておきたいと思います。
支援者は、その重要さを意識し、利用者が日々一つひとつの事象について信頼の実感を得てもらえるように、思慮ある対応が求められます。
彼らの「信頼を求める気持ち」に応えられる支援者であるよう、努力しましょう。
障害のある本人が参画する場は、広い意味で社会生活への参加ということになります。そこでは、作業や活動を通して自己の力を発揮して、充実感を得ることがねらいとなります。ここでは「何に参加しているのか」ということが焦点ではなく「いかに参加して充実感を得ているのか」です。つまり、やっていることが問題なのではなく、何かに参加した時に「やったー!!」という気持ちが本人の中に芽生えているか、ということが問題になるのです。
「作業・活動」は、知的障害のある人が適応しやすく、内在している力を発揮しやすい場面です。ましてや、興味関心のある好きな作業・活動なら、本人たちはその活動に望んで取り組み、持続もします。その繰り返しこそが、彼らが充実感を得ていくことにつながっていくのです。
同時に、その姿を見て「よくがんばっているね。立派よ」と讃えることによって、より彼らの充実感は膨らむことになり、そして私たちの讃えている気持ちを本院はキャッチして「きちんと見てくれている」と安心感を得、良い関係性の循環が起こるのです。この経過から、確かな信頼関係が成立していきます。
最近はフリータイムが多くなってきました。フリータイムを有益に過ごせる人にとって、フリータイムは「どうぞ自由にお使いください」という時間になりますが、知的障害のある人の中には、フリータイムを有益に使えない人もいるのが現実です。このような状況の中で「どうぞご自由に」と時間を提供した場合、本人は何をして過ごしたらよいのか、を得ていないと「ただ部屋にいる」「部屋で寝転がっている」という状態になってしまいます。「寝転がって休養をとる」ということは決して悪いことではないのですが、時間を計画的に過ごすことが難しい彼らにとっては、それしか過ごし方がないという中での選択になるため、乏しすぎる過ごしになるのです。
そうであるならば、なんらかの体験をアプローチしようという発想が生まれ、余暇活動の支援が必要となってきます。余暇活動の中では、エネルギーの再生産ということが図られます。これは「作業・活動」とは違うところで快適な時間を過ごすことによって、本人が元気になるように図っていくことです。ここでは、そのための配慮が大事な柱となります。余暇活動を通して、彼らの生活をベースにしながら、体験領域を拡げ、社会性が拡がっていくのです。
知的障害のある人は、小中高と学校に通っている12年間は、基礎学習をしながら基礎的な力を育んできているはずなので、高校を卒業した18歳以降は、社会性育みを焦点に、それを拡大する時期と捉えることができます。学校と社会を比べれば、暮らしている領域は異なりますが、社会性の拡がりは大いに期待できるはずです。そのため、暮らしの場で様々な体験をさせながら、文化的なあるいは運動的な何かに、本人の関心が向くように置き換えて進めてもらうことが大切となります。
また「プライバシーの重視」の必要性は、当然保障していく態度でなくてはなりません。ここで重要なことは、その実際が「充実する暮らし」になっているかどうかということです。充実する暮らしは「自己実現」という大きなテーマにつながっていきます。この「自己実現」という言葉は、各々の人が自己をどのように活かしながら生きていくかという時に使うフレーズですが、障害のある方にとってもその方の「精一杯の生き方」があれば同じ意味を持つのです。
青壮年期の知的障害のある人に関わる際には、個の尊重を心がけ、本人による自己選択・自己決定を心がけることは必須です。どんなに障害の重い人であっても、人としては対等であることを忘れずにかかわることが鉄則です。特に高齢になっている人に対しては、尊敬の姿勢を持って関わっていきます。これらの関りによって、彼ら一人ひとりが安定して、人社会の一員としての暮らしを継続していけるのです。
私たちは「この姿の具現化を担うのが支援員である」ということを心に納めて、歩んでまいりましょう。
引き続き青壮年期を中心に見ていきます。この時の知的障害のある人の姿として期待することは「私の場は、ここにある」と感じながら、表情が柔らかく、穏やかな様子であることです。こうした姿を創り出していけるような育ちを支援することが重要であり、それが本来の穏やかなパーソナリティーの結果になると思います。
人は感情のありようによって姿が変わります。しかもこの感情は、様々なことに大きく影響を受けたり、与えたりという相互作用によって変化します。このことも、知的障害のある人においても同様です。しかし、知的障害のある人は、周囲の感情を理解する力が弱く、自分の感情をコントロールする力が弱いために、感じたことを表情や行動によって表出することがより強く多くなります。つまりこのことは、彼らの表している姿は、内面に感じているものがそのまま現れていることになり、さらに言えば、彼らの穏やかな姿は、彼らが今「快さ」を感じていることを意味するということになります。
この「快さ」とは「ほっとする安堵感」「頭ごなしにされない、のびのび感」「やさしさやていねいさ」「鋭くない目線の安心感」など、総合的に「自分は受け止められている」という実感でしょう。そしてこれは、人として得てもらいたい第一義となることです。ですから私たちは、この第一義を目指しながら、障害のある人たちが、達成感・満足感を得て、自立が図られるようにしていくことが求められるのです。
知的障害のある人が人として認められ、心の安心感を得て、充実した時を過ごすことが求められます。そのため、彼らを取り巻く人がいつも穏やかな気持ちで彼らに関わる必要があるのです。具体的に言えば、彼らに対して明るく爽やかな挨拶をし、丁寧な言葉づかいで関わるようにします。彼らの動作を促す場合には、指示命令的な言葉かけではなく、丁寧な言葉かけをしたり、本人に選択・判断を促す言葉かけをしていくようにします。さらに、トラブルが生じた場合には、行動を止めながら静かに応じ、落ち着くのを待って関わります。
障害のある人との関りにおいては、周囲の者の表情や態度が雰囲気を作ることになり、こうした関りが土台となって、彼らが安心して暮らすことにつながっていくのです。彼らを取り囲む人たちが漂わせる雰囲気次第で、穏やかなパーソナリティーが左右されます。私たちは、自分の感情を律していくことが求められるのです。
【6】老年期 編
一人ひとりの人生は、その人の歩いた道のことです。
誰も代わることのできないものです。
人生100年といわれる時代に入り、障害のある人も同様に長寿になっていきます。そのことは喜ばしいことですが、生きる姿の内容となると、障害のある人は、自分で自分の道を開拓して歩んでいく力が弱いため、その道を本人任せにしたのでは、願いどおりの人生を歩めないことも多いのです。
そこで、どのような道づくりをするか、本人と共に考え、行動していく理解者の存在が必要になるのです。ここで間違ってならないことは、本人が生きる主体であり、周囲は支援者であるという認識です。
そこで、老年期のテーマは、本人の生き甲斐をどう護るかにあるのではないでしょうか。これは障害のある人もない人も同様です。老齢期は、生き甲斐を追究し、人生のラストステージを有意義なものにしていくことが大切なのです。
生き甲斐とは、何かに向かって何かをしていることだけではなく、本人が人から大事にされていると感じられた時に、充実感によって得られるものでもあります。関わるときには、本人が人として大事にされていると感じられるようにし、関りによって生き甲斐を感じられるようにしていくことが大切になるのです。
老化現象は、障害の程度とも関係しているようで、一般的に障害のある人は、老化現象の現われが健常者より10年早いと言われています。そして自分で健康管理を行い、健康維持をしていくことが困難です。そうなれば介護度は多くなってきます。本人の生き甲斐を守るためにも健康を維持し、人生のラストステージが豊かでハッピーな内容になるように創出していくことが求められます。
障害のある人は、支援者の影響を多く受ける人たちであるだけに、周囲の者の責任は大きいのです。彼らは、表情や行動・言葉で「ハッピーだよ」と表現しながら生き生きと生きる姿を創り出していきます。
そのような支援を具現化していくために、支援者は本人との信頼関係を基に、本人に寄り添いながら、本人の心の中をキャッチした関りを一人ひとりに対して実践していかなければなりません。この営みに支えられて、本人の生き生きとした日々の意欲をみることができるのです。
喜びの共感をもった共生です。
障害のある方も、現況は長寿になっているだけに「各々の方の生きがいをどのように護っていくか」と「その有終の美を飾る人生をどのようにするのか」がテーマになります。
そのためには、本人との信頼関係を基に、気持ちに寄り添いながらの関りを、一人ひとりに対して丁寧に実践していきます。この営みに支えられて、穏やかな日々の暮らしが成り立つのです。周囲の者の責任は大きいのです。大切な支援のポイントをあげます。
①長寿になっているとは言え、個々の状況を的確に把握することは必須にな
ります。
②健康への留意は、本人まかせにできません。とにかく負荷をかけないこと
です。常態の把握と異常に気付くことが大切です。
③気持ちのやすらぎ・あたたかさ・たのしさを得てもらうように努力しま
す。
④自分のやれることは、その意義を称えてやっていただきながら、残る部分
をしっかりと支援します。「待つこと」「励ますこと」が大切です。「あ
りがとう」も声に出して言いましょう。
⑤楽しい一日を提供して差し上げましょう。
⑥支援するときは、ゆったりと本人のペースに合わせましょう。自己本位は
ダメです。
⑦邪険な扱いは禁物です。本人が悲しくなることはしません。
⑧本人「出会う人から快適さを得る」ことを、支援者は心得ましょう。
⑨生きがいは、本人が「大事にされていると感じたとき」に充足するので
す。
⑩本人の内面の捉えは、本人の表情や動作がバロメーターであることは変わ
りません。しっかりと留意しましょう。
⑪ホームドクターなど医療機関をいつでも活用できるようにしておきましょ
う。
⑫行政としては65歳から介護保険の対象になりますが、どこでどのように
支援を得ながらの暮らしになるのか、にかかっていることを承知しておき
ます。(老人ホームは待機者が多く、活用は難しい実情)
⑬慣れたところで、慣れている人たちとの安堵できる暮らしを考えたいもの
です。
人生のラストステージである老齢期は、特に一人ひとりの想いを尊重し、個別化をはかり、各々の生きがいを追求し、共に創っていくことが、支援者としては大切です。
お互いが「ありがとう」といえるように・・・
【7】家族支援
これまで、各ライフステージにおける「穏やかなパーソナリティー」を如何に育んでいくかについてポイントを押さえてきました。その育みは、発達段階に応じた支援のポイントを踏まえることです。共感し、共に育ち、共に生きていくことは、こうしたポイントを踏まえた関りがあってこそ深めていくことができるのです。
そして、それは支援者のみならず、周囲のサポートがあって成り立つことなのです。特に家族においては、その役割は重要になります。障害のある本人にとって家族への関りによる影響はパーソナリティー形成に大きな影響を与えます。そのため支援者は家族支援についての在り方をきちんと理解しなければなりません。
障害のある人を取り巻く家族のありようは、千差万別、みな異なります。支援者は、障害のある人のみならず、各々の家族がどのような状態にあるかもよく知って支援にあたる必要があります。
なぜなら、障害のある人の見せる姿は、その家族の状況を物語っていることがあるからです。そこで支援者は「兄弟姉妹は元気だろうか」「お父さんお母さんは元気だろうか」「家族の雰囲気はどうか」などを察しながら関わるようにしていきます。
家族は本来家族の心身を休め、癒しの場であり、エネルギーの再生の場です。そうした場が健全でなければ、家族は心身を休めることも、心を癒しエネルギーを再生産することも難しくなります。
そこで障害のある子どもや人への支援は、本人への支援を通して、家族の様子や状態・状況にも目を向け、本人も家族も心身ともに健康で支援していくことが求められるのです。
とは言え、家族に障害のある人がいるということは、その状況に遭遇したことのない人には分からないほどの、様々な困難や葛藤を抱えているものなのです。そうした家族の気持ちに寄り添っていくことから家族支援を始めていきます。