家族と共歩する支援であるための心得
人にとって家族は、社会の最小単位であって、自らの出生から成長し、生きていく人生の拠点でもあります。この点は、障害とは関係のない単位です。とは申せ、親として、我が子に障害のあることを聞かされた時の、心情的ダメージは大きく、不安・悲しみ・葛藤の渦の中に落ち込む瞬間があり、この長短は人によって異なり様々です。
支援者としては、この親御さんの心情をしっかり受け止め、本人の育ちのうえで共に歩んでいく立場であることを確認し、各々の家族と共に、本人の育成に関することになることをまず自覚しましょう。
そのうえで、本人のすこやかな成長のうえから、ご家族との歩み方と同時に、支援者としての心得を考えてみたいと思います。
1.障害診断を受けた際の、親の心情を察してみましょう
~その背景と共に~
我が子の出生について、喜びと期待をもって迎えるのが常でありましょう。また、元気に育っている子が事故や疾病に出会ったら、その回復を願い看病にあたります。ところが「障害がある」「障害が残る」と告げられると奈落の底を意味し、まったく逆な状況に追いやられます。
この逆転はどうしてなのかを考えてみると、まず、「どうして?」となり、「治るのか?」「どうなっていくのか?」「大変になる」「子供も自分も悲劇」と、どんどん負の発想に追い込まれていき、育児に回復に向かうエネルギーが出てこなくなる時期が横たわります。
もちろん、出生時に絞ると育児の進め方がわからず、不安であることもあるでしょうが、それ以上に「障害がある」ということについて「本人が劣」である受け止める目線のある社会があるからです。
すなわち、社会を構成している人たちの、障害についての捉え方が、「普通という存在から見て劣る」とみる目線です。ここは「人についての捉え方」に誤りのあることに気づかなければならないのではないでしょうか。
人の価値は「人であり、人として精いっぱい生きていることそのもの」と捉えたいと考えます。そこで、このように人の捉え方が根底から変わり、一人ひとりの人権を尊重する考え方の浸透がなければ、親御さんの、この心情的ダメージは軽減できず、つきまとう状況に置かれていくのではないでしょうか。
この変革の困難さは大きいのですが、「人の命を大切に、人を尊重し、共に生きる」という社会に成熟していくために、改めて一人ひとりがしっかりと意識していかねばならない根幹課題だと考えるのです。
支援者は、これらの課題確認をし、変革につとめる一人として、まず自分自身に問いかけながら歩むことが必要です。同時に、本人の育ちのステージに添った、親御さんの心情に寄り添いながら、共歩することが大切になるのです。
2.親が子どものことを理解し、子育てに励める支援が求めら
れます。その前に、親に心情の納まりを得ていただくこと をしなければなりません。
そのための心得を考えていきましょう。
支援をするにあたって、親の心情を踏まえなければ、支援はスタートできません。
どんな親であっても、わが子の健康を願って出産し、健全に育つことを期待しています。その期待は、一律に「普通であること」を望んでいると捉えてもいいでしょう。その点で、障害はその期待に反するものです。親が混乱し、動揺されるのは当然ですから、障害を受け入れることにも時間を要すのです。
そこでまずは、親がわが子の障害について、どのように捉えているかを知ることが大切です。そして、その捉え方の方向を導き支援していくことになります。
特に初期のころに親が出会う支援者は、出産時の医師・看護師・助産師をはじめ、支援を専門職とする者です。そこで支援者から如何なるお話しや対応を受けるかで、親の心情は大きく影響を受けることを心得ることが重要です。
親の現状に苦悩しておられる心情を理解しながら、そこから親子育てに立ち上がる気持ちを如何に発露してもらえるかです。そこに支える人があり、共歩してくれる人との出会いがあって、大きく気持ちの切り替えをしていけるのではないでしょうか。
そして、母親一人で担うのではなく、家族が共通の心情になっていただける介在をしていくことになります。この役割を支援者は担っていることを確認し、ケースバイケースに立って、的確に対応していくことを心したいと思います。
3.親の心情を理解しつつ、子どものアセスメント(評価)を
丁寧に行いましょう。
子どもにとっての過程・家族は、子どもの心の中に、親や家族がきちんと位置付けられていることが重要です。その上で家族を形成し、関係が構築していくことが求められます。
しかし、障害のある子どもと親との関係は築きにくく、関係性を構築することがむずかしいものです。
知的障害のある子どもは、適応力の弱さや判断力の弱さがあり、学習に時間がかかることがあります。その結果、自立性が弱く、依存的な傾向も見せることがあります。その結果、親が子どもとの関りにおいて、適切な距離が保ちにくくなるのです。
自閉症スペクトラム障害の子どもは、相手の気持ちや感情を十分理解することが困難であると同時に、コミュニケーションのむずかしさも見られます 。さらに感覚の偏り・同一性保持を有するために、理解がむずかしい姿さえ見せるのです。そうした姿に直面すれば、親は当然戸惑い、悩み、葛藤することになるのです。
こうした親の心情を、私たち支援者は理解することが必要なのです。
親の心情を理解しつつ、子どもの「発達から見た今」と「障害特性」を丁寧にアセスメントし、捉え方の物差しを間違えないようにしなければなりません。同時に、子どもへの眼差しは、常にあたたかく、かつ冷静であることが大切です。この時期の子どもを、正しく理解し、必要なかかわり方を示して、共感し、共歩になれる支援でなければなりません。
そこから、子どもの穏やかなパーソナリティー形成の一歩が始まるのです。
4.母子関係の充足した確立を~愛着形成の土台~
障害のある子どもの親御さんは、一生懸命ですが、子どもの発達の状況に合わず、空回りになりさまざまな葛藤を抱えて、子育てをされていることが多いようです。
親が子どもの発達に見合った関わりを持てるには、発達の道すじを知り、今子どもはどこにあるかを捉え、そこを充足する子育てのあり方を得る必要があります。同時に、他人と比べない子育てを奨励していくことが求められます。そのためには、至難なことですが、障害についての正しい理解を得て、子どもの捉え方としては、絶対評価の価値観を親に持っていただくことが必要となります。
この価値観を持つことは、子どもの育ちの全ての過程においての捉え方の評価を、間違えずに進めていける力となります。この物差しで、子どもの反応する行動を捉えることができ、子どもの承認や喜びの対応がなせることで、子ども自身が鋭い感性を通して安堵し、その人に対する信頼を芽生えさせていくことになるのです。
乳幼児期は、母親との接点の多い時期ですから、母子関係を充実する「ことによって、子どもは人を「信頼できる存在」としてキャッチし、以降の人間関係の形成の土台になっていきます。すなわち子どもは、人との関わりを通して、人に対する安堵感を得て、情緒の安定を図っていくからです。
ここまで記しましたことは、障害のある子の育ての軸とするものです。この内容を親御さんが理解し、受け止めて子どもと向かいあうまでの親御さんの心情を、支援者は十分理解し、共に子育てに参画し、親に寄り添い、親の気持ちをしっかり支える歩みであることが必須です。
なぜならば、先に「至難なことである」と記したのは、一般的に子どもとのやりとりの場面では、親は子どもの反応を期待し、反応に合わせて自分の考えで関わるものです。障害のある子どもの場合は、それに反応する力が弱かったり、予想と違ったりと、親の期待通りの反応になることが少なく、それに親はまず戸惑うのです。そして、どうしてよいかわからなくなり、親自身の不安感情が露呈されてきます。この場面が最も不適切な関わりとなるのです。
そうしたことを繰り返していくと、ついどうしてよいかわからず、子どもとの関わりが少なくなったり、誤ったりとなる結果を招いてしまいます。沢山の関わりが必要な時期でもあり、このサイクルは断たなければならないのです。そのためにも、親の心情への留意は不可欠です。
そこで、親に子どもの喜んだ時の反応が、どのような場であったのか、どんな働きかけであったのかを思い出し、その場面がどの位あるかを探りあて、その場面の再現を図ることを考えます。そして、その場面ではオーバーアクションで関わり、子どもが楽しいと思い、喜ぶ様子を共有しながら、子どもが得る「快の感覚」を多く注ぎ込むことを実践していくことになります。
それらへの気づきは、支援者が共同作業をすることによって、ヒントを与えていくことが求められます。ちょっとした反応への気づきが必要だからです。子どもは感性が鋭いですから、その種の反応もしているのですが、表現の下手さもあり、キャッチのしにくさもあります。そこで共感としてのオーバーアクションで返す対応が有効になり、その対応にさらに反応するという循環をとっていき、喜ぶ楽しみを注入することになれるのです。
これらの対応を継続していくことを留意し、子どもの得る一日の快刺激7・不快刺激3を維持していくことが必要になります。
これらを意識した配慮の下での継続した対応によって、子どもの心に愛着形成がされていくのです。人社会の中で生きる、人としての人格形成する礎となる愛着形成を、何としても達成しておきたいと思います。
親御さんと共生し、誤った子育てにならないように、求められることを意識して進めていきましょう。
5.障害児を抱える親の葛藤を理解し共歩する事
障害のある子が、すこやかな育ちを得るうえでの第一段階の要件は、親がわが子を受け止め、受容できる気持ちの持ち方に始まり、更にこの内容の変遷はありますが、これは子育て中を通して課題となるものだと思います。総じて、この親の抱える葛藤について、真の理解者になるに、このことを承知して支援は継続されていかなければなりませんので、あえて項を起こします。
障害のある子どもの親に対する支援は、葛藤を抱えている親を受け止めることから始まります。親が抱える葛藤は大きく「子どもに課した自分の目標がクリアできない葛藤」「障害があることがわかっているけど、うまく関わることができない葛藤」等々、更に個人的な背景の下に、様々な事情があると捉えなければなりません。この葛藤は、障害のある子どもを育てる上で当然抱えるものでしょう。
すなわち、障害のある子どもを抱える親の葛藤は、各ライフステージにおいて、その内容が変わっていきますが、何らかの葛藤を抱えながら生きていくことになるのです。そこで、各ライフステージのテーマに沿った、葛藤の中身を捉えた上で、その葛藤に対する支援をしていくことが求められます。
子供が小さいときに、葛藤を乗り越える経験をした親は、その後に生じる葛藤を乗り越えることができるようになり、子どもに対して適切な期待を持てるようになり、子どもを捉える目線が、期待の適性を得ることになります。その実態は、子どもの姿を介して親の内省を促し、親自身の捉え方の正当性への気付きを促し、葛藤に直面した際の自分なりの対処方法が身につけられるように支援していかなければなりません。
その支援では「親に、子どもが主体的な人生を歩むことが大切であること。」を伝えていきます。知的障害のある子どもは、他律的傾向があるため、親が子どもの自主性・主体性を感じ取ることは難しくなりがちです。そのため、子どもの等身大の課題を設定し、意図的に支援をしていくことによって、子どもは自分で自分の生きる力を拓いていくこと、そして、その必要があることを理解できるように伝え支援していきます。
例えば、児童期の子供の将来について「20歳になった子どもの姿」を描くように働きかけ、親がその姿を楽しみながら子育てできるように支援していきます。
このことは、親が「これから始まる子どもと共にある人生の中で、どんなふうに歩んでいけるのかを考えよう」という気持ちが成り立つことでもあり、親の勇気づけにもなるものです。
そして支援者は、子どもの支援を通して親と対話し、親自身が自分を知ることができるように支援し、親が自分の人生に向かって、親自身が「どう生きるのか」を考えるように支援していく必要があるのです。そのためには、親の心情や葛藤を真に理解できる支援者の器量とスキルを備える努力が必要です。
支援者として至難な課題でもありますが、エンドレスで努力したいと思います。
6.親と共に歩む姿勢を形成していく
近年、早期療育の場が開かれ、各地で早期療育が実施されるようになりました。しかし、ここで、本当の意味で療育の質が高まったのだろうか?という大きな疑問が浮かびます。
「障害のある子ども」の療育で、行わなければならない重要なテーマの一つに「親支援」があります。子どもの育ちは、親の育ちとの両輪によって成り立つものですから、障害のある子どもの育ちを支えることも、療育の中では取り組まなければならない大切なことだと考えます。
障害のある子どもを抱える親は、障害を告知され、診断されても障害を受け入れることができずにいることが多く、療育を受ければ障害が治ると思っている親もいるようです。そうした親たちが、療育をする中で「障害は治らない」ことを知っていくようですが、その過程の中で生じる親の葛藤は計り知れないものがあります。
そこで、子どもへの療育を介して、親に「子どもが変わる」ことに直面させ、親子関係を調整していく必要があるのです。この場合、親に対する支援目標を「子どものことを認識する」こと、「子どものベースに絞って取り組む」ことの二点が必要になります。
こうした「親子への支援」を通して、親は現実を直視するようになり、子どもの変容を体験することを通して、子どもの表情・しぐさに注目するようになり、さらには、子どもを愛らしいと思える親になり、子どもを受け入れる気持ちになっていくのです。
こうした親の変容をもたらすには、親の育ちを支援していく必要がありますが、この場合、子どもの気持ちを読める親になるために、子どもの変化を読み取れる目を持てるようにしていく必要があります。親がこうした目を持てるようになれば、親は子どもの小さな変化に気づけるようになり、その変化を喜び合う関係を構築するようになっていけます。その結果、子どもと親の関係が変化し、子どもは持っている力を発揮するようになり、親はそれを見て子どもを褒めるようになっていくのです。さらにこのような循環が生じると、子どもは人に対する信頼も育ち、人間関係が多様化し、多くの人との関係を築くようにもなっていきます。
こうした子どもの姿を通して、親は親としての自信を回復し、親としての姿勢が培われていきます。ここで重要なことは、親は子どもを直視しながら、子どもに対する己のあり方を修正し、子どもを受け入れるようになってもらうことです。療育の中で、親の子どもを見る目が、的確になっていくことで受容できるようになるので、その変容を促すことが療育者には求められるのです。
親が「この子を育てていこう」と思うようになるには、障害のある子どもを取り巻く親との信頼関係が重要です。そのため、親への支援を図りながら、親と信頼関係を築き、共に歩む姿勢を形成していく留意が、支援の第一歩と捉えていいでしょう。
子どもの育ちを支援することが第一義ですが、その前提に親の支援が横たわることを認識して出会ってまいりましょう。
7.子どもの育ちの各ステージへの親支援について
ここまでは「親への支援」が子どもの育ちを支援する前提となることを申しました。そこで、これからやや具体的に子どもの育ちの各ステージへの親の葛藤や対応の迷いなどを想定して、捉え方や対応のサポートについてポイントを考えていきます。
【1】乳幼児期に関して
最愛のわが子が順調な育ちではないようだと気づいた時の葛藤については、前項で述べたように、厳しい現実との向き合いになりますから、親の心情をしっかり受け止め、子育ての基本を解きながら支えていくことが支援者に求められます。ここでは乳幼児期に捉え方を間違えないためのポイントを示すことにします。
(1)全面的に受容されていること
誕生して新生児は「泣く」ことを通して「お腹がすいた」「オシッコをした」などを表現します。お母さんはそれに対して授乳やおむつ交換等をします。すると赤ちゃんは安心して眠ることが多いですね。
この時期「泣く」という行為は、自分のコンディションの不快を表現する力として持って生まれてきており、「生命保持を自らする力を授かっている」ということです。泣くことによって、そしてその対応によって、自分のコンディションを「不快から快へ」整えていくのです。ここから「全面受容」はスタートします。また、身体に備わっている感覚、つまり五感が育ち始め、目で母を捉え、やさしく抱っこされることで、抱っこの感覚を「快」として受け止めていきます。見守られていることを「快」として感じます。耳に入る言葉など、周りの環境のすべてを吸収しながら、赤ちゃんは育まれていくのです。
これが普通に育つ子の過程ですが、なかには、例えば「泣くので抱っこしてあやそうとしても、更に大泣きする子」「おいしいだろうと思って口へ運んでもペロペロと出してしまう子」など、一般的に良いとする対応をしていることへの逆の反応になる場合があります。「良い対応」をしているはずなのにという思いから、さらに強く関わろうとしがちです。ここでは、冷静になることが大切です。
「なぜ逆の反応になるのだろうか」を考えましょう。抱かれ方に対する子どもの触覚反応が過敏であれば、大泣きをして「嫌だ」という事を表現します。ですから、「どんな抱き方なら泣かないのだろうか」を考えるようにしましょう。なぜならば「全面受容」から子どもが得るものは「快」の感覚が7、不快な感覚が3だからです。快の感覚を多くしてあげる必要があるのです。
「全面受容」の内容のポイントは、子どもの一日の暮らしの内容をトータルにして「快7対不快3」の割合に保つことを心がけることなのです。
(2)安心を感じている日常であること
子どもが見せる行動に対しての、私たちの受け止め方をまず正しくとらえるように支援することが求められます。一般の成長曲線を基準として、育ちに遅れを見せるこの場合は、お母さんは遅れを取り戻そうとする関わりになりがちですが、この対応が間違いの始まりです。しかしすぐに「このような弱い部分があるから障害があるのです」ということをお母さんに認めさせようとせず、「その子なりの育ちでよいのです」という事を伝え、その過程の育児が人格形成に直結することを伝え、子どもの表情から安心が得られているかを物差しにするように支援します。 具体的には、親の言うことを聞かない行動に出会った場合は「親の求めている事柄」が「子どもの今の状況で対応できるかどうか」を捉えます。
いう事を聞かない行動には3通りあり,
①言われていることがわからない
②わかっているがやりたくない
③あえてやらず親の出方を探る(年長さんの時期に見られ出す)です。
3~4歳のころまでは①か②が多いので、①の場合は求めているテーマをわかってもらうことからです。要求が高ければ修正が必要です。
②は子どもの気持ちが向いていないと解釈し、気持ちが向くように関わるのですが、それが強要であってはなりません。この時期の強要は、子どもの気持ちの中に人認知のマイナスを残してしまいます。気分転換をはかる、楽しいことなのだよとわからせて向かうようにするなどの工夫が必要です。
③の場合は、表面的には拒否なのですが、内面は大人を困らせてでも「自分にしっかり向き合ってもらいたい愛情欲求」が根底にあると捉えていいでしょう。日々の生活の中で、親が子どもに対する愛情の充足を心がけていかねばなりません。5~6歳で③が疑われる場合は、早急な対応のあり方の検討が必要になります。
(3)愛着形成と人への信頼を得させること。
心身はどんどん発達していきます。親はいろいろな配慮をしながら一歩一歩育んでいくことになります。この時期に大切なことは、子どもの姿を「個」として正しく捉えることをしていただき、その上で今の課題にどのように対応していくかを考えることです。そして何よりも重要なのは、子ども自身に親を「自分にとって安心でき信頼できる人だ」という気持ちを得てもらうことです。人との関係におけるもっとも大切な信頼を得てもらうことです。
そのためには、子どもに期待する基準に合わせて、子どもに適したことをすることです。実際は、スキル的な類は手を添えて一緒にやり、楽しく一つひとつを楽しみ、コミュニケーションはやり取りを楽しむ展開を心がけます。言葉の出ていない場合は、ゆっくりと伝え、反応を表情でとらえながらつきあうことです。これらのおつきあいは簡単ではなく、ひとつの事柄に時間がとられてしまいますので、根気良く関わって子どもからの信頼の芽が出るように意識しましょう。この過程を通して、子どもは最も大切な「関わってくれる人」に対する「安心と信頼の基」を得ていくのです。
この時期に得た愛着形成は、以後の育ちの中に大きな力として残るのです。この重大さをしっかりと受け止めて、育児を進めていくのです。
その意味では「こんなに努力したのに大変だ!!」と親が思ってしまうと、すべてが止まってしまいます。親への支えの大切さと、育児のポイントへの応援を、行動しながら考えながら支援者は進めていくことです。
幼児期に出会う集団生活にあっても、この点の広がりが大切であり、家族だけが捉えればよいという事ではありません。
子どもが健やかに育つ土壌を構築し、乳幼児期の育みの重要性を、関わりを持つすべての者が認識を共有して進むことが必要なのだと思います。
【2】学齢期に関して
学齢期は教育の機会を得て、心身共に最も成長する時期であることは、周知のとおりです。ならば、子どもの健やかな育ちを願い、親はどう事象を受け止めることが必要かを理解し、子どもがつまづかないように育成できるように、どのように親を支援するかが大切です。以下に小学校低学年期(10歳まで)・高学年期(10歳以降)・中学生期に分けて述べます。
(1)小学校低学年期
6歳を迎えると、すべての子どもが教育を受ける環境に入ります。就学する学校は、子どもに適した場として、親が教育委員会と話し合いをして決定されていきます。種類としては、普通級・支援級・支援学校があげられるでしょう。
まず大切なことは、学校の区分による選択は、本人の心身の状態からの「発達促進」に関して、最も適した場であることです。見栄・外聞で選ぶことではないという事です。
子ども自身が教育の場を得て、伸び伸びと内在する力を最大限に発揮することが期待されることがテーマであるからです。これを踏まえた上で、現実的留意をあげます。
①新しい環境への適応のために留意しましょう。
新しい環境で出会う人の数・建物の大きさ・時間割等々、本人を取り巻く
事柄で、これまで経験してきた環境とは大きく変化することを承知しましょ
う。
そこでまず、子どもが「学校は楽しいところ」だと感じて登校をする姿を
具現することを留意します。それは、帰宅時(下校時)の子どもの表情から
察知します。
晴れやかな表情なら良い一日を過ごしていると捉え、連絡帳などからの
様子を得て、出来事を話題として、楽しかったことをよりふくらませるよう
に関わります。言葉の出ない子であっても、親が語ることで感じているもの
を表情で示しますから、バロメーターになるのです。
表情が暗い時は「何かあったのか?」と心配になりますが、あえてそれは
話題とせず、これまでの楽しい出来事(給食のことなど)を取り上げて話
します。「学校が嫌な場ではない」ことを極力印象付ける関わりをしていく
ようにします。
一学期、元気で登校できる日が続くことを心がけ、身体的配慮も加えてい
きます。そして、経過することができると、子どもは「学校はよいところ」
「楽しいことのたくさんあるところ」となって定着していきます。この体験
が、以降の学校生活の歩みに大きく影響していきますので、しっかりと留意
したいところです。
②担任の先生と本人の捉え方を充分話し合い、共通認識にしていきましょう。
学校生活のかじ取りは、やはり先生が担ってくださっているので、子ども
の捉え方で齟齬の無いように「双方の理解」が大切です。
子どもの強みとなる点・弱みとなる点を見ていくのは良いでしょう。た
だ、親はどうしても弱い部分を取り上げることを意識する側面があります。
そして、子どものプロフィールを捉えるとき、強みとなる点に着目して、伸
ばしながら自信を得させるようにすることができ、本人の意識の喚起につな
がり、弱い部分をアップしていくことにもなるのです。弱い部分のアップに
ネジを巻くと、かえって劣等感を持たせることになります。この点は、以降
も引き継ぎますから充分要注意です。
③ADLを自分でやるように、習得としていきましょう。
幼児のころから、食事・着脱衣・歯磨き・洗顔・排泄・持ち物整理などの
手ほどきは始めてきていると思います。これらはスキルを伴いますので、手
を取って教え、伝える時間を横たえますが、かなり習得していきます。です
から、日常の生活の動きの中に取り入れて、お家で取り組むことをしましょ
う。
獲得年齢は、障害程度では、軽度は10歳、中度は15歳、重度でも主な
項目はゆっくりでも、自分のやっていく力を18歳までに得ていきます。し
かも一生、自分の力としていきますので、重視して着実に実践していきまし
ょう。
当然、獲得プロセスでしっかりと自分でやる自信を得ます。この自身がこれ
からの人生を生き抜くエネルギーにもなっていくのです。
④お友達との関係の大切さ(親同士の関係も含めて)を心得ておきます。
学校生活が続いていきます。同学年の仲間は、最も近い存在になります。
自分でお友達を得ていく力は、社会性の力にもよりますが、育ちが弱い子も
います。だからといって単独の行動を優先させていくと、いつまでも広がり
ません。本人の行動の枠を決める必要もありますが、それよりも子ども同士
の関係づくりに留意することが大切です。
ただし、子どもだけでは展開ができません。親や職員は「仲介する」つも
りで、型を作るのではなく、仲間のいる空間を創り、一緒の動きをとりなが
ら「その時間が楽しい。うれしい。」の味わいになることを設定したいと考
えます。
学校生活そのものは、いろいろなことの連続だと思いますが、学校の枠を
離れた場所での出会いを、少しずつ作っていくようにありたいと思います。
子ども任せにはできない時期ですから、まわりの者の考え方・準備・実践が
重要です。日常的に計画して継続していくとよいと思います。
10歳は成長過程の節目の一つです。本人の発達を見て、大切なスポット
として個をしっかりとらえ、過欲求にならず、適正な評価をしながら、基礎
力を育んでおきたい時期と認識しておきたいと思います。
(2)10歳の節目を大切に進めよう
10歳(小学校4年生)になった子どもは、いろいろな面に対して、受動から能動に移る節目となります。低学年を経て、身体的にはずいぶん大きくなったと実感するでしょう。また、生活の仕組みにも慣れ、各人にとって生活のリズムが整い、育ちに必要な条件(身体・習慣・行動等)が整ってきたといえるでしょう。そして、次のステップに入っていくことになります。それが10歳(小学校4年生)の節目と捉えるのです。この時期に意識して取り組みたいポイントについて述べます。
①身体的成長を順調に ―丈夫な身体に―
身体的成長は、年齢相応に育っていきます。身長・体重を目安に個々人の
成長を見せますので、そのための留意をしていきます。
それは、一日のリズムを整えることです。生活のリズムを整える要点は前
節で述べていますが、日中は学校へ行っていますから、大体の時間的リズム
は整えられます。ここで睡眠と覚醒のバランスを保ち、日中の運動量も確保
して整えたものにし、維持することになります。
リズムを定めるに当たっては、起床時間を大体定め励行します。前夜寝る
のが遅かったとしても妥協せず、ていねいに起こします。その日一日は睡眠
不足の様子が現れるかもしれませんが、反発させないようにフォローし、継
続していきます。大体3週間くらい頑張ると、リズムが一定になり、それを
習慣にしていきます。
この時期は「我」も出てきますので、大切に起床を促していくこと、すな
わち起床した際の気持ちのよさを印象に残す余韻とすることです。そして自
分が気持ちよく起床できていると思えると、自主性にも関与し、意識を持つ
ようになるようになります。その結果、丈夫な身体に成長していき、自主性
も育ちます。
②日常的な生活の動作の獲得を図りましょう ―力いっぱいを目指して―
幼少のころから手ほどきしてきた、日常的な生活の動作です。身体の成長
と共に身体に備わる諸機能が働くようになり、身辺処理動作の全般を処せる
ようになってきますが、獲得レベルは障害の程度とリンクしますので、その
点を承知して取り組みたいと思います。
私たちの経験では、きちんと獲得のための留意をして取り組んで進める
と、障害程度、中軽度の方は、10歳で全般の対処力を得ます。重度の方
は、15歳で全般の事柄をおおよそ自分で処する力を得ます。最重度の方
は、獲得項目は限定されるところ(食事・着脱・排泄は可)はありますが、
18歳頃には生活する上での対処力を得ます。排泄は排泄後のおしりふきが
残るところはありますが、トイレ認知・対処の諸々動作などは得ます。
おおよその目安を持って、しっかりと力を備え、発揮できるように取り組
んでおきたいと思います。生きていく上の日常の基本動作です。より重要な
点は、獲得可能な項目に挑むプロセスにおいて、適切な支援を受ける中で、
しっかりと自分でできることは自分でやることの大切さと、達成感を得ての
自信が諸々の挑戦への意欲を喚起されていくことになります。この点こそ
が、以降の「何事にも取り組む意欲と自信を得ていくことの基になる」と捉
えたいと思います。
③意欲の芽を出させる -生きる力の源ー
前述した日常的な基本の動作獲得のプロセスでの対応は、ずっと継続され
ていく心得ですが、それらがベースになって、この時期に本人が出会う出来
事の諸々を通して、しっかり獲得させておきたい力です。彼らの動作獲得に
必要な対応要件の5段階
ⅰ.やって見せる
ⅱ.手を取って一緒にやる
ⅲ.見ていてやらせる
ⅳ.やった後、必ず報告させ確認する
ⅴ.予告せず時々確認
を意識した捉え方を常に留意し、課題の獲得のための思考プロセスや動作分
析をして、本人の現レベルにあわせた教え方をしていきます。
学校の学習内容も広がるでしょうし、難しさとも出会うでしょうが、そこ
でつまづかない配慮をして進めます。失敗を恐れるわけではありませんが、
自信の獲得をする前は、かなり配慮をしながら成功体験を高めることです。
事柄の難易度をしっかり見極め、成功できそうな範囲から、課題を選択して
ガイドしていくことです。成功体験が自信と直結です。
10歳という節目は、思考回路の変化期でもあります。記憶をベースにし
て、思考へと育ちます。彼らの場合は、思考域が狭かったり、経験的思考で
あったりになりますので、それも承知してケースに適した展開をしていきま
す。その意味で、ガイダンスを受けながらの体験は、とても有効です。これ
がさらに広がる思春期への入門でもあります。
10歳の節目を意識して育てていきましょう。
(3)思春期の受け止めと心がけること
《 思春期前期》
思春期のテーマは、心身の変化に対する乗り越えです。
近年の子どもたちは、思春期に入る時期が若年化してきています。この点をふまえ、順調に乗り越えてもらうために心がけることをあげます。
①身体的変化の確認
第二次性徴を迎えることで性差が明確になり、身体的成熟に向かうことに
なります。その年齢として、女性は11~12歳で初潮を迎え、男性も骨格
や変声は13~14歳で現れます。この変化はホルモンバランスが変化する
現象です。その姿が身体的成長であり、早期になっているという事です。こ
のように身体的・生理的変化を自然・当然なことと認めることを確認しま
す。
障害のある子たちは、障害と身体的成長は直接関係しませんので、同様な
成長をします。この点は誤解なく、喜ぶべきことと確認しましょう。
②心身のアンバランス状態にあることの確認
身体的変化と相まって、精神的変化も成長して現れます。それは内面とし
ての自我が明確になってくるので、おのずと自己主張となります。また、衝
動性に誘発され、ストレートな行動表現になってきます。こうした内面は障
害とは関係なく、心身の変化として起こるのですが、それがどのように個体
として表現する行動になるかです。
健常児にも起こることとしながらも、知的障害のある子どもの場合は、コ
ントロール力の異なりがあり、その行動は個々人が異なりを見せるものにな
ります。たぶん彼らの見せる行動は、まわりを困らせることになり、まわり
の者もその行動を止めにかかったり、「ダメ」という対応になります。その
結果は、より強い抵抗行動として現れがちです。
これらの根本は、心身がアンバランスであり、知的な状況判断やコントロ
ールの弱いところに起因するのです。この点が、日常のいろいろな面に出る
ようになり、頻度も高くなっていきがちです。
心身のアンバランス状態にあることを心得え、本人の自己肯定感が失墜す
ることなく確認され、自身につながる対応が大切です。
③弱いところへの支援のあり方は
行動から見た「是非」の対応になる前に、個の心身のアンバランスさを捉
え、行動の要因を把握し、要因理解の上で解決の道筋を、本人のわかる力に
合わせて対応します。その際、本人の気持ちに目を向けることが必須です。
それが本人を尊重する姿勢を貫くという事です。
まず本人のできているところ・わかっているところは見守り、「是」であ
ることを確認し、伝えます。
課題になる部分は絞り、一度に多数はあげません。
対応の実際は、決めつけ・押しつけはせず、同時に禁止・叱責は避け、解
決のための提案・促しを心がけます。このプロセスでの留意は、反応を待つ
ことですが、待てなくて口うるさくなると、本人はその対応に反発し、得る
方向に行きません。慎重に進めることです。
ここで力になるのが、本人と支援者の関係性です。信頼関係にまで構築さ
れていれば良い方向へ、時間はかかったとしても向かいます。
特に性に関する事柄については、当然異性への関心も芽生えてきますの
で、同性が対応し、行動のとり方を伝えてきます。行動の物差しは、社会に
通用する線を得ることを目標とします。
思春期に入ると多感になります。その関心の持ち方も捉えながら、広い視点をもって一つひとつを心得て処する力となるように、進めていくことが重要です。
支援者側が試されているとさえ思えるときがありますので、考え方を整理して備えておくことです。共感を持って対応していくことがポイントでもあります。
《思春期後期》
①信頼関係の確立の再点検
思春期後期は、青春真直中と言われる時期です。この時期は身体が順調に
育っていれば、背丈も伸び筋肉もつき、しっかりとした体格になります。ま
ずこの点は喜ばしいこととします。
しかしながら、知的障害のある方は、理解する力に弱さが見られるため、
いろんな方面で自己本位さが目立つようになります。そうした状態の中での
行動となるため、多分に行動障害まがいの行動を見せることにもなり、周囲
の者の大変さが顕著になっていきます。
この時期は結果的には、本人のコンディションを承知しながら、本人の内
省状態を捉えていくことが大切になります。ここでは、本人を尊重するとい
うスタンスは欠くことができません。尊重することは本人の言いなりになる
ことではなく、その行動の要因を捉えるという対応になることです。それに
加えて、行動のとり方を決めつけることなく促したり、問いかけのコミュニ
ケーションを豊かにすることによって、望ましい自主的な行動になるように
留意していきます。そのことを通して、人との関係を持てる力に発展させて
いきます。
②意欲は自信の蓄積
思春期後期のテーマは「自信を持ち、意欲を育む」という事になります
が、意欲の根源には自信が必要となってきます。ここで大切なことは、何を
持って本人の自信とさせるかですが、それは個々によって異なります。ここ
では、期待をすることが自信のネタではなく、本人の努力目標が自信のネタ
なのです。このことを間違えないで進めることが鉄則となります。
結果的には、意欲は自信の構築から芽生えさせて育むものであることを整
理して進めていく必要がありますが、簡単なテーマではないことも事実で
す。けれども、生きていく力としては必須ですから、小さな時から育みの描
きを持って進めなければならないことなのです。
③適応する力を育てる
いずれにしてもこの時期は、行動上難しくなってくるので、ついつい手を
こまねいてしまうことも多いようです。しかし、しっかりと整理して社会へ
つなげていく大事な時期でもあります。支援者は小さい時から将来の描きを
持ちながら育てていかないと、残念ながら本人の内在している力は出てこな
いもしくは、出せない本人にしか育っていないという状況になりかねませ
ん。そのため、小さい時から人格形成に焦点を当てた育みを続けていくこと
になります。
障害のある方々との出会いを通して、残念ながら「この人は、あの時にち
ゃんとしてもらっていたら、こんなふうにならなかったのに」と思うような
方もおられます。これはとても残念な姿なので、そうした出会いをしないた
めにも「出来るだけベターな状況で育てて、ベターな人生を送らせてあげた
い」と思います。
人の育ちが適切でない場合には、もちろん修正していかなければなりませ
んが、その現実も受け止めていかなければならないのも事実です。人生は一
度しかないのですから、修正されることなく、スムーズに歩まれることを願
っています。
【3】青年期
青年期は、大人期の入り口として、これからの長い人生を歩む方向へ入る節目となります。多くのケースは18才で教育機関を卒業し、社会人としてのステップを踏むことになります。そのスタートにあって、今後につながる次の5点をあげてみました。
(1)自分のやれることに出会う・本人の内在する力の適性を探す
(2)日常生活を組み立てる・自立度に合わせた参画
(3)仲間を得た生活・孤立させない
(4)余暇の過ごしを得る・たのしみをもつ
(5)成長に伴う性のありよう・承知すること・わきまえること
各々について少し丁寧に方向づけを記し、心がけたいと思います。
(1)自分のやれることに出会う・本人の内在す力の適性を探す
人は誰でも得手・不得手があります。不得手を克服するのは、なかなかハ
ードルが高いです。得手を伸ばすのは、努力によってかなり期待できます。この捉えは誰にでも通じることではないでしょうか。
中でも障害のある人の場合は、不得手領域は障害の特性による部分ですか
ら、努力の範疇にはなく、承知しておくことになります。とはいえ、その弱い部分の程度は、個々によって異なりますので、その点をしっかり把握しておきましょう。そして、強みとなる部分を如何に伸ばし活用するかに焦点を持ちます。
人は誰でも、自分の力が発揮でき、何らかの達成感を得た際の喜びや満足によって、充実感と自信を得ていきます。この経緯は誰でも同じです。
そこで、彼ら一人ひとりに内在する力の発揮を考えていきたいと思います。知的障害を伴う方たちは、身体は順調に育っている方が多いので、身体を使うことを活かす作業・活動が浮かびます。作業・活動は単純なものから複雑なものへと多様で、工程も様々ですから、全工程ができなくても部分を担うことでもよいのです。
また、身体の使い方として体力・巧緻性・注意の向き方等々を捉えながら、適合する作業・活動をやってみながら向かい方を見ていきます。作業・活動はスキルを伴いますから、各々の作業・活動の工程分析をし、ケースの理解レベルを探りながら確かめていきます。スキル獲得のためのレベルは、次の5段階をステップにするのが王道です。
①やって見せる
②手をとって一緒にやる
③見ていてやってもらう
④必ずやったあと確認する
⑤予告せず時々確認する
この段階のステップはケースの個別課題と直結ですので、初めの2段階を長
く経過しても、身体が覚えて動作として示すようになり、獲得に至ります。獲得できての満足感は、達成感と共に自分自身の自負となり、どんどん取り組んでいくようになります。
「内在している力」を見いだされ、「適正な作業・活動」に出会った本人は、まさに自分の生きる糧を得て、「人生を歩んでいく自信」を得ることになるのです。
ここで大切な留意点は、作業・活動の難易度から見た評価基準の持ち方が優位であると、単純作業・単純活動に従事している状況は高く評価されなくなるという点です。
つまり、難しい作業・活動をしている人は評価され、簡単な内容の人はあまり評価されないという事です。その結果、本人は自信が保てなくなり、折れてさえいきます。
大切なことは、単純なその仕事・活動を担う人があって、全体が成立していることへの評価です。従事している人が、的確な作業・活動をして、完成への工程が進んでいるならば、それはその役割を充分に果たしていることになるはずです。
つまり、本人と作業・活動のマッチングにより、本人の内在する力に適合した作業・活動に出会っての成果として、絶対評価の視点で個人に対して評価をしていかなければならないということです。そして、承認するという形で本人に満足感を得てもらい、自分のやっていることに自信を持って日々の生活を歩んでもらうのです。
その意味で、個人の内在する力を見極めて活かす探りを、簡単にあきらめないで、探り続けていく周りの私たちでなければならないのです。
いろいろと試み、適性にマッチした作業・活動に出会い、自分にできることの実感をもち、それが生きるエネルギーの源泉となっていくのです。
内在する力とマッチングした作業・活動に出会えた本人は、自分を活かす事柄「作業・活動」を得ることになります。その是を実現しながら、確認していきましょう。
(2)日常生活を組み立てる・自立度に合わせた参画
日々の生活は、生きていく基本です。そこに本人がどれだけ溶け込み、各人 のできる範囲の「主体的参画をしているか」が大切です。
身の回りの事柄(ADL:Activities of Daily Livingの略で「日常生活動作」)はいろいろあります。家事の手伝いから掃除・洗濯・炊事・買い物・ゴミ出しetc、自立するためには多くの日常の必要な事柄が諸々ありますが、それらにどれだけ処せるかです。
これらの事柄は、幼いころから取り組む中で、かなり身につけることが期待できる事柄でもあります。特にADLの身辺処理的な事柄は、障害程度が重度の方でも、食事・排泄・着脱衣・洗濯・歯磨き等は本人に任せることができるくらいになります。一度獲得したことは維持していきますので、周りの介助は少なく済み、また「主体的に動いている」といえるので、重視し保持を図ります。
中・軽度の方は、ほとんどが社会生活に通じるレベルまで獲得しますから、学童期のうちに到達させておくことによって、他の力の範囲が広がります。
そこで課題になるのは、家庭管理についてです。自立に際しては必須事項になりますが、火の扱い方・家具の手入れ・部屋の清掃等、本人のできる範囲で教え、理解してもらって獲得の方向を求めます。完全に自立した生活になる方は少なく、グループホームの活用になると思うので、自分の身の回りのものなどの管理はできるようにしておきたい点です。
生活を処す上で重要になるのが「健康管理」と「経済性」です。
「健康管理」については、完全に本人に任せることはできないと認識し、本人には訴えることを身につけてもらいます。軽度の方は検温くらいは可能ですから、自分で測り、それも含めてコンディションを訴えるという事です。訴えるのが難しい方には、表情や動作・態度をよく見ておいて、いつもと異なることに気づく対応が必要で、見過ごしてしまって重篤になることもありますから、まわりの者の配慮が重要です。
当然、疾患についての理解や対応は任せられませんから、服薬などについては介在することになります。具体的には疾患についての状態を本人に話し、どれくらい悪いのか感覚的にキャッチしてくれるように対応します。自己管理をすることは無理ですが、自分のコンディションに関して注意の必要なことは、キャッチしてコントロールするようになります。
「経済性」については、本人の可能な範囲でお金との出会いを計画し、生活していく上でのお金の大切さ・必要性や各人の欲求充足にあたって有益な媒介物であることの意味が分かるように対応します。各人がそれぞれの場で得るお金を基本として、出納の実際を体験してもらいながら、働く(作業・活動)→賃金(給料)→生活(必要な物品購入と楽しみ)の循環を学習する機会としていきます。
各人が得る金額によって使途の範囲を定めることになりますが、まず使う事から始めます。賃金(給料)と出会わない方は、おこづかいとしてでもよいので、月決めにして、おやつでも欲しい安価な品物を買う(得る)体験をしてもらいます。その流れでお金の意味も学習していきます。各人の欲求充足と直結しているので、うれしいと感じることでお金の意味を得ていきます。賃金(給料)として得る場合は、額によって自分で必需品の一部(食費・衣類費・交通費等)と買いたいものや値の高い品物は積み立てをする等をして得るなど、視野を広げていくようにし、自分の生活を維持していく上にはどれだけのお金が必要なのかを理解し、「一部管理」することから「完全に自立」までの過程をとりながら、経済性の必要性をわかるように進めていくことです。
与えられた生活からの脱却を本人のレベルに合わせてスモールステップで進めることによって、本来リアリストな彼らは、直感的にかなり多くのことを理解していきますので求めたいところです。そして、経済性を会得することによって、セルフコントロール力が一段と高まる姿に出会えるようになるのです。
(3)仲間を得た生活・孤立させない
教育機関を卒業した人たちは社会の新たな環境に入ることになり、そこで出会う人たちとは新たに仲間となります。新たな場所がこれまでの仲間と一緒であることは少なく、単身で入っていく社会になるでしょう。しかしこれまでに交流のあった仲間は、以降も部分的に繋がっていくことでしょう。この繋がりは、是非お互いに励ましあう関係として維持していくとよいと思います。とはいえ、新たな環境に慣れていかねばなりませ
んから、本人なりに頑張ると思います。
人間関係の構築のしかたは個人差が大きいことを踏まえて、本人の新たなる場への加わり方の様子を見守り、適切なガイダンスを心したいと思います。通う各々の場の人間関係は、一般就労の場・福祉的な場によってかなりフォローのあり方が異なるかもしれませんが、当初は本人の日々の状況を細かく把握していくことが必要です。緊張過多になると委縮していきますので、仕事を覚えること・ルールを守ることに留意して確認し、支えるようにします。
会社でもジョブコーチとして個別指導者をつけての導入にもなっていきますから、習う・覚える態度を支えていくことです。時間的には長い時間を会社で過ごすのですが、気持ちがほぐれるほどに溶け込める状況ではないでしょうから、会社の仲間はすぐに馴染みにはなりにくいと承知しておいた方が良いと思います。そこで「従来からの友達とかかわりを持つ」「地域で気楽に参加できるサークルなどに入る」ことで、元気さを維持する活動になっていくと考えます。
福祉的な場の場合は、仲間となりやすい人たちの集まりですから、そこを拠点につながっていき、年齢幅のある集団でもありますが、各人の選択の下に気のあった仲間に出会えると考えます。
毎日元気に通う姿は行き先での馴染みの程度がバロメーターになりますが、受け入れの場の明るさやなじみやすさへの配慮は重要な点となります。
彼ら同士が創っていくというよりは指導者が中に入り、核となって調整を図りながら展開することが要かと思います。
さらに休日やオフタイムの過ごし方も、一人で過ごすこともあれば仲間とサークルなどに集うこともあり、社会性全般を発展させていくラインにもなりますから、地域のこの種のラインを紹介したり、提案したり、ガイドしながら健全なオフタイムの過ごしを作り、お互いに気のあった友達を得るようにサポートしていくことが必要と考えます。
いづれにしても、一人では生きていけず家庭やグループホームを生活拠点にしながら「一人ではない自分」を得て暮らしていく状況を整備することが必要だと思います。
孤立させないためには、日常の中で気配りする「まわりのあり方」になると心得たいと思います。
(4)余暇の過ごしを得る・楽しみを持つ
生活拠点が家庭・グループホーム・入所など各々であっても、1日24時間は同じで、日中活動の状況で時や量は異なりがあっても各人が得ているオフタイムの時間があります。そして、生活の豊かさや楽しさを考える際に、どのような活動の実態があるかという事はかなり重要な事項となります。
もちろん、生活の質(QOL)を求める際、日中活動と余暇時間の過ごしをトータルに考えなければなりませんが、どちらかといえば日中活動は「本人の特性を配慮して充実するように」と考えて取り組まれていると思いますので、一方の余暇時間の過ごしは各人の課題となるといえます。とはいえ、自分の楽しみをもち過ごせる人もいますが、趣味の類はなかなか得難く、各々の楽しみの傾向はあったとしても、余暇時間の過ごしとなるほどでもなく、その時その場になっていることが多いのではないかと思います。そこで、出来るだけ各人の趣味・関心を基にして、楽しく過ごせるものを得ておくと有効です。
現状では、ゲーム・TV・ネット・ユーチューブ等、一人で過ごして楽しんでいる方も多いかと思います。室内でこもるようになる度合いは調整が必要かと思いますが、それはそれとして、楽しんでいるときはある程度許容して、楽しみを共有しながら共感していけば良いと思います。
例えば、楽しみ方が自分にあり、やりたいと本人が思い、休日のたびに乗り物を使って同じ場所へ行く方がいます。それはそれとして、本人が計画し、予定を立てての動きとして充実しているのです。
地域で活動するスポーツ・音楽・絵画・手芸等のサークルに入って自分の趣味を重ねて過ごす方もあります。
いずれであってもよいと思いますが、余暇の充実した過ごし方は、豊かな暮らしを創る一場面になることは確かですから、強制されるのではなく、自発的に参加し、活動することを推奨します。しかしまわりの者は、本人に任せっぱなしにせず、その内容を把握しておくことは必要です。
何をやり、どんな状況の中で過ごしているのか、その状況を確認しながら見守ることは、周りの責務としてとらえ、しっかりと本人を支えていきましょう。
(5)成長に伴う性のありよう・承知すること・わきまえること
順調な身体的成長の証として、第二次性徴に出会います。
この節目に関して、まわりの者が、順調な喜びとして捉えるより「心配なこと」としての受け止めがありました。不安・心配の背景は「困ったことになった」という思い込みがあったようです。
そもそも第二次性徴の現われは、ご承知の通り成長過程でのホルモン分泌のバランスによって現れます。男子は男性ホルモンが多く、治氏は女性ホルモンが多くの比率で分泌され、性差を明確にしていくものです。
その性差は現象的には生理的な異なりを見せ、女性は初潮によって確認し、男性は声変わり・骨格などで確認されます。そして同時に内的刺激として諸々の感じ方に影響を与えていくこととなり、大雑把に男性気質・女性気質といった特徴を見せるようになります。
これらを全て成長の証と捉え、健全育成に向かうことが大切なのです。そこで、本人たちには自分の「身体的成熟を守る」うえから、承知して適切に対応することを学んでもらいます。
女性の生理の手当等は最初からきちんと教えていくことでマスターしていきます。コンスタントに至るまで何回か重ねますので、一度では習得できず数回必要になりますが、その都度きちんと学習してもらえば大丈夫です。女性は生理が目安ですから、この点をマスターする間に、きちんと対応することを通して、あり方を学んでもらうことにもなり有効です。
男性は自慰行為の対処が現れますが、その際に対処の仕方をきちんと学んでもらうことで男性生理としての対処になっていきます。この現象は自律への成長の証ですから、正しく承知しましょう。
女性・男性いずれにも、成長過程には同性が対処します。それは性の成長として認められる異性への関心や行動の起こり方は、度合いの差は個々にありますが、みなさん刺激として作用していくからです。そこに留意しなければならないというのは、各々に起こる衝動性もあり、刺激過多になることです。ごく自然な出会い・関わりは是としながらも、わきまえのない行動は多くが刺激の発信になりやすいのです。本人たちの行動は、その点のコントロールは弱く、衝動性の方が強く、行動を起こす状況になるのです。
その点から、わきまえること(まわりのことを考えての行動)のあり方を学習して、異性への関心やかかわりたい行動は、強弱の差はありますが「成長の姿」として承知しながらも「わきまえの力」を備えていないと直接行動になりかねませんので、この点が要注意なのです。
関わりの機会を社会的に用意することも考えます。例えばフォークダンスをする・食事会を開催してサービス役をするなど、集団的出会いを設定します。1体1の設定は極力避けることを配慮し、「公の場の設定」をして参加してもらうことが望ましいです。
交際を希望する場合、全てシャットアウトすると隠れて出会うことを考えますので「理解させておくこと」「相談すること」をわからせることが必要です。衝動的行動に進む場合もあり、責任問題になることも起こりますので、自分の将来についての考えを、少しずつもたせていくことを話す機会は大切です。
青年期のつきあい方が的を得ていますと、友人としての枠が広がり、より豊かな内容に育ちますが、ここで誤ると逆の方向になり、将来の道に影響しますから、大事に進めていくことが大切です。
身体もしっかりしてきて、完成も豊かに大人期に入っていく道になるように、「監視する」のではなく、「見守りながら相談にのり、悔いのないように歩んでいく」ように支えたいと思います。
【4】壮年期
壮年期と称しますと、一般的には50代以降を指しますが、知的障害のある人達は、個人差は前提として、心身の弱りが10年くらい早い傾向を見せるといわれますので、その点をふまえ、40歳代~50歳代の20年くらいを対象として考えることをお含み下さい。
そこで、壮年期としてのテーマを3つの項目で見ていきます。
(1)健康と体調維持への留意について
~健康管理・医療との連携~
(2)心の安定と、人との調和を図る
~本人のやれることへの尊重と確保・信頼関係~
(3)環境に適応する力について
~暮らしをつくり、支える~
(1)健康と体調維持への留意について
~健康管理・医療との連携~
このテーマは、日々の快適な暮らしの基盤として、とても重要な点ですが、彼らに全面的に託すことはできない点があり、周りの者の気づき・配慮が求められる課題だとまずは認識しましょう。
なぜならば、彼らは自分の身体的不調について、漠然とはわかり、動きや表情等に変化を見せますが、気づきが的確にできにくく、不安や心配が先に立つとカモフラージュすることさえ見せ、更に言葉での表現が十分にはできず、あいまいな訴えになることが多いのです。
例えば腹痛があるとき、お腹のどの部分がどのように痛いのかは訴えられず、お腹を押さえる部位毎に全部痛いと答える人も少なくありません。
現状では、諸検査ができるようになりましたから、不調の原因を探る対処にはなっています。また、服薬の指示が出されると、それがどのように回復への役割をするものなのか等の意味は十分に分からず、託した場合は、ほとんどの人がきちんと処せないでいます。そこで服薬の効能や飲み方などを、明確にして与えながら確認したり、その都度与えるという介在になることが必要になります。実際、対応はケースバイケースで、的確であることが求められますので、この点の見届けは欠かせません。
対応とは別に診療に応じられることを身に着けておくことが大切です。例えば、診察・注射・治療・入院等といろいろな対応局面がありますが、何らかの恐怖があると全く受け付けてくれませんので、医療対応を活用できないことになります。日頃のちょっとした治療の処し方の配慮で、心配なく自分が良くなる手当だと経験することで、心得てもらうように重ねます。その場面は、本人の信頼できる人のガイダンス(対応)が有効です。一度恐怖の経験をすると、ずっと残りますので、改善が難しくなりますから、ささいな手当てであっても丁寧に対応し、「大丈夫」「安心」を得ていくようにすることです。
医療が進歩していても、対応してもらえないと有効性がありません。
医療の進歩により、障害のある方の平均寿命が延び、長寿になっています。長寿になるという事を誇りにできる生活内容にしていくためにも、まだまだ元気で活力のある壮年期の健康管理は、留意しながら支援をしていく必要も欠かせないことを踏まえましょう。
医療との連携は一気に進んでいる現代、「医療との連携が図れる本人」であって欲しいと願います。
(2)心の安定と人との調和を図る
~本人のやれることへの尊重と確保・信頼関係~
心の安定を自分でコントロールして保つことは、生活している現実では簡単なようでなかなか難しいものです。なぜならば、各人の心のコンディションは日々内在しますが、周りの人との出会い・出来事の中で大きく影響を受け、各人がコントロールしながらかろうじて安定を保ち、また修復するという心の働きをして保っているからです。
その際、健常な人は出会う出来事の次第を考えたり確かめたりしながら、そこに自分の考えも加えて解釈し、心に納めていくことを通常あたりまえの対処として進めていると思います。しかし、知的障害のある方は、障害ゆえに出来事の因果関係を整理することが難しい、それ自体が理解できない等々のために、心の安定を自力で保つことが非常に難しい課題となります。
その反面、感性の直感的な把握力は鋭く、自分を軸として気にいる範囲か否か、了解が可の範囲か否かというように、出会う事象を選別していきます。当然その過程で「自己存在の確認」が本能として働きます。その「自己存在の確認」を起点に、関わる・求めるという行動の起こし方になることが多いのです。
その意味では、彼らの心の安定は本人自身のことなのですが、周りがどれほどに本人を正しくキャッチして、本人の力にあった本人が「快」と得る状況を創り出してサポートしているかにかかっているとさえいえます。その意味で、彼らは他律的なのです。そこで、「いったい何を介在として自己存在が確認でき、心の安定を得る上での媒介となるのか」という視点を意識したいと思います。
他律性が強いゆえに、周りの私たちが留意しなければならない点を考えます。
①「本人が他人を、どのように捉えているのか」の確認をする
この点は幼い頃からの成育歴が関係します。愛着形成がされているかどう
かです。人との出会いにおいて、自分が愛され大事にされ、是とされてきた
出会いを得ている場合は、しっかり心の安定の土台ができているといえます
ので、その上に人との出会いが構築されることになります。
しかし、その点が不十分であれば、そこから形成を図らなければなりませ
ん。とはいえ、幼いころのように心身ともに受容一辺倒の対応は適切ではな
く、本人も拒否します。そこで軸となるのが、わかる力・やれる力を活かし
た何かに取り組む実績です。
②わかること・できることに着目して、可能な事柄に出会い、成功する体験を
すること
身体的機能を把握し、活かせる部分の活用です。その意味で、本人の諸能
力に適した「活動」との出会いです。活動の例として、作業は彼らが適応し
やすく、持っている力を発揮しやすい場面です。その人の力相応の活動を選
別して与えられれば、健常者が長続きしないような単純作業の類の活動も、
しっかりと自分の力を注ぎ継続していきます。もちろん、実施する活動が本
人の力に見合っているからでもありますが。
そこでの継続の実績は「承認」の評価を伴い、「自信」を得ていく道程に
なります。なぜならば本人は、そこにしっかりと自力を発揮した充実感を得
ているからです。そこでの注目点は、活動の難易度では評価はせず、担う活
動・作業の「参加態度」と「的確さ」を求めることです。この尺度を正しく
備えて評価されるならば、本人は真の満足を得、評価をした人への安心と信
頼を芽生えさせていきます。この構築が大切です。
人社会の中で生きていく現実にあって、人との信頼関係を得ているかどうかは、心の安定の基に大きく影響を与えます。確かに、彼らは生い立ちからでしょうか、人と出会っても最初からその人を信頼することができる方は少なく、ほとんどが誰に会っても、自分に対してどのような関係をとる人かを本能的に探る行動を見せる人が多いです。しばらく試されるときが横たわります。
とはいえ、信頼できるという確かな手ごたえを得たときは、その信頼は非常に強く、関係性において大いに満足させてくれる位置づけとなります。本人なりに自分を守ってくれる人の中に加えていくのでしょう。その意味で、決して信頼関係の形成ができない人たちではありませんし、信頼関係を得てその人は心の安定を保ち、一日の元気な日々を重ね、心の安定を確認できるようになっていきます。
そのためには、支援者は決して裏切ってはなりません。本人の捉え方をふまえて、期待に応えながら説いていくこと、そして日々の豊かな暮らしを共に創り出していくことへの努力が必要です。「信頼関係の形成は必ず成る」と信じて、人とのつきあいを重ねていくことだと思います。その暁には双方の安定と笑顔があるでしょう。
「言うは易し、行うは難し」であることも含めて、「的を射る歩み」でありたいと思います。
(3)環境に適応する力について~暮らしをつくり、支える~
「暮らしを自らが作って歩むこと」が、自立の姿であることは理解しながらも、彼らにそのテーマを課すことは、かなり難しいことです。
特に、障害程度との関係が承知されなければなりません。そこでは、まわりの者のあり方が問われることになります。「暮らしを作るためにどう支えていくか」です。
その実際を考えてみます。それは、まず時間の使い方が重要になります。日中活動の時間は各人に適正活動が組み込まれていると思いますが、余暇的な時間が課題になります。フリータイムを自由に過ごせる人にとっては、そのフリータイムは「どうぞ自由にお使いください」という時間になりますが、知的障害のある人の中には、フリータイムを上手に使えない人もいるのが現実です。さらに、フリータイムの大事さを経験していないという人も大勢いるのです。このような状況の中で「どうぞご自由に過ごしてください」と提供しても、本人は何をして過ごしたらよいのか分からないようになり、「ただ部屋にいる」「部屋で横になっている」いう状況になってしまうのです」。「寝転がって休養を取る」という事は決して悪いことではないのですが、時間を計画的に過ごすことが難しい彼らにとっては、それしか過ごし方がないという中での選択になるため、乏しすぎる過ごしになるのです。
そこで、まだエネルギーを備えている時期でもありますから、アプローチする発想が必要で、それが余暇活動の支援です。
余暇活動の中では、エネルギーの再生産ということが図られます。これは、仕事と異なるところで、快適な時間を過ごすことによって、本人が元気になるように図っていくことです。そのための配慮としては、プログラムの多様性が必要です。各人の体力・興味性・過去の活動の体験などを基に、レクリエーションプログラムを提供します。身体を動かすこと(スポーツ・ダンス等)、音楽を聴いたり奏でたり、映像を見たり、工芸的な手作業を活かす創作活動・料理(食事作り・お菓子作り)・ゲーム等々、いくつかのプログラムを準備し、体験してもらい、自らの選択になるまでのプロセスを提供し、楽しみを持って過ごし、エネルギーの再生産につないでいくという流れです。
これらは、強いて進める展開ではなく、楽しみを見つけるプロセスですから、彼らに託しながらも適切な指導をして、良い体験にしてもらうことを図ります。こうして経過する中に、各人の求める過ごしのいくつかとして定着していけばよいと考えます。
一日の過ごしの内容が、適度な緊張を持って真剣に取り組む場と、時間を得、それと共に余暇利用の内容が整うことによって「受け止められる土壌」となり、「本当の適応力」になっていくのです。このプロセスは行き当たりばったりでは獲得できず、各人の特性と意思や意向を探り、把握しながら見守り、支えながら構築していくことになります。
さらに、ここで確認しておきたい点は、充実した暮らしになっているかどうかという事です。充実する暮らしは「自己実現」という大きなテーマにつながっていきます。この「自己実現」という言葉は、各々が自己をどのように活かしながら生きていくかを求めて歩むことの意味をもつフレーズですから、障害のある方に会っても、その方の精一杯の生き方があれば同じ意味を持つのです。この点を、現象に惑わされ、抜けてしまう事の無いようにすすめていかなければなりません。
豊かな暮らしになるための留意ですので、根気よく進めたいと思います。
【5】老年期
(1)「長寿になっている今」を知っておこう
現在の平均寿命は、健常者男性81歳・女性88歳になっています。
60年前(私が仕事に就いたころ)は、50歳といわれていました。その時
期、ダウン症の方の平均年齢は12歳といわれていましたが、5年後、20歳に延びました。私は、わずか5年間で8歳も寿命が延びたことに驚き、医師に問いました。答えは「医学・薬学・環境(特に栄養と衛生面)の進歩のたまわりで、経過としてはダウン症の特性でもある気管支が弱いところで、気管支炎→肺炎→死の流れがあったのだが、薬の開発で肺炎になっても治るようになっている」とのお話でした。
ちょうどその頃、10歳のダウン症のお子さんが入園してこられました。お母さんは短命と思っておられるので、全てやってあげる育児で来たとのことでしたので、食べることも自分でしない、排泄はオムツという状況のスタートとなりました。「決して短命ではありませんので、しっかりと生きていく方向」を話し合い、療育に入りました。
12歳の時は、基本的なADL(Activities of Daily Living:日常生活動作)は7割くらい獲得し、更に指の使い方もよくなり、本人の関心も広がり、活動も積極的になり、25歳で家庭の戻り、以降作業所を利用しながら過ごされた方がありました。この一例を捉えても、寿命の想定は、とても重く本人の人生に関与する事項であると確認しています。
明らかに障害のある方の寿命は、厳密には個々人ですが、傾向としては延びており、100歳近い方もあり、ダウン症の方も50歳を超える方も多く、全体的平均寿命は62歳といわれています。彼らの基礎疾患そのものが脳の中枢の障害ですから、健常者よりは短命になることは承知するとしても、決して40歳・50歳ではないことを心得たいと思います。
そこで大切なことは「年齢と状態に適した暮らしを経過して高齢の域に入っているのか?」という点も、振り返って取り返しはできませんが、しっかりと考えの中に入れて「本人のライフサイクルを描いていく」ことが必要なのだと思います。
(2)「老い」の現れ方を踏まえての支援をしよう
「老い」の現れ方は人それぞれであって、年齢だけで扱うことはできません
が、概論になりますが具体的視点として考えてみたいと思います。
①基礎疾患が治癒していない場合(てんかん・喘息等)
この種の疾患はできるだけ早期に治癒するように対応しますが、難治性の
場合は服薬(適処方箋)・体調管理(睡眠・疲労・過食等)でのコントロー
ルは欠かせないポイントとなります。主治医との連携の下に留意した対応の
継続となります。
②肥満への留意
「食」に対する関心は強く、量のコントロールが難しいため、本人にまか
せるとつい肥満になってしまいがちです。その点は食生活への留意をしなが
ら栄養バランスと摂取量に関して、体重測定を1カ月1回は実施し、本人の
体重曲線を図表にして示し、本人に気づかせるように進めていきます。
この点は40歳代から始めることが、食生活の調整になっていきます。
「お腹が決める」とも言いますが、体調の快適さを感じてもらいながら、定
着するように進めます。この延長線でコントロールが可能になります。
③転びやすくなる・つまづく~脚力の弱りへの対応~
健常者にあっても足腰の弱りは、機能低下の代表句として言われますが、
障害がある方も同様です。ちょっとした段差につまづくことが目立ってくる
と、歩行の姿がヨロヨロしたり、小刻みになったり、周りの者が本人の足が
細くなったねと感ずるようになってきます。そして転ぶことの頻度が多くな
り、転んだ際にあちこち打撲をしたり、裂傷になったりします。できるだけ
歩行を助ける装具を使用しようと考えますが、その用具が使いこなせなく、
かえってわずらわしく思うようで、投げ出してしまいます。
これはかえって悪循環になってしまうので、車椅子の使用に踏み切ること
になるのです。ほとんどのケースは車椅子の自走は困難で、誰か介助者が必
要になります。また、車椅子の移乗が一人ではできませんので、本人の移動
の介助が常に必要になります。もちろん、車椅子を利用して介助されながら
も希望する動きを保つことは大切ですが、どうしても必要な動き(食事・排
泄・就寝)は欠かせませんが、外出等になると介助者の都合も考えなければ
ならず、全て意のままになるわけではありません。そのためにどうしても
活用範囲が絞れてくることになりがちです。そこで足の弱りを遠のかせるよ
うにするには、若い時からの動きが大切で、歩くことを意識して継続する意
識を保つことが必要です。どうしても自律的思考が弱い方が多いので「楽し
いプログラムとしての歩き」を習慣とする位に、1日の中の動きに組み入れ
ていきたいと考えます。(歩行プログラムを組むこともあります。)
車椅子を使用する時期の判断も大切で、頑張らせすぎることはマイナスで
す。早すぎると依存になります。どちらも適切なその後の動きにつながりま
せんので、十分、PT(理学療法士)の方と相談して決めることだと思いま
す。
④咀嚼・嚥下ができにくくなる~栄養のとり方~
食物をよく噛んで飲む行為「咀嚼」は本人の幼い頃に得たスキルが週間に
なっていきますので、若い頃は特に問題にはならずに育ちますが、高齢にな
るにしたがって、しっかり噛めていないと、食物の硬さ・大きさによっては
飲み込めず、のどに詰まらせ窒息状態にいたることもあります。この点につ
いては、十分観察し、食物の大きさ・柔らかさを決めて食べるようにしても
らいます。食事の形態をその程度によって変えていきます。
例をあげておきましょう。
主食:ご飯→軟飯→粥→粥ゼリー、と進めます。
副食:普通→粗刻み→細分→ミキサー→ムース、と進めます。
食べ方については、本人に託せる状態であればまかせ、摂取量を確認しま
す。介助が必要な場合は、出来るだけ本人の意向を優先して一口量を考えて
主食・副食を口に運び、必ず飲み込んだことを確認して次を口に運ぶように
します。食事の進めは「急がず・ゆっくり・楽しく」が配慮となります。特
に食事への欲求は最後まで強く維持しますし、それによる満足度も多いので
す。咀嚼・嚥下機能の予防として口腔運動を、特に食事前に口・顎・ほほの
運動を歌に合わせて両手で動きをつけ、活性化する働きかけをして、できる
だけ食べる力の維持に努めます。
⑤ADL(日常的な生活動作)が全体的に低下する~介助が必要となる~
年齢的に身体機能の働きが弱くなり、細かな動きができにくくなってきま
す。例えば、衣類の着脱・靴の脱ぎ履き・歯磨き・洗顔・洗体・排泄など身
の回りのことがおおよそ自立していた方も、不確かになってきます。比較的
大きな動作はできますが、指を使うことには不十分さが出ます。力の入れ方
もです。例えば歯磨きの形は習慣の中でやれているように見えるのですが、
しっかり確認すると歯を撫でているだけということもあります。このような
スキルの低下はやむを得ない弱りとみて、介助をしていくことになります。
その際の留意は、行為の目的は承知しながらも、強要せず出来上がりのそう
快感を共有するように対応していくことです。もちろん、介助度合いはすぐ
に全面介助にはせず、本人の残存能力を捉えて本人主体であることをわきま
えて進めます。この姿勢は尊重の姿でもあるのです。
⑥「自分の殻に入る傾向」「動きが激しくなる傾向」などを見せる
身体機能の弱りに合わせて、動きのとりにくさも加わり、各自の拠点を中
心にあまり動かなくなる方、逆にまわりの者としては動きの意図がわからな
いくらい落ち着かず動き回る方もあります。両方とも特に身体的因子は認め
られません。この場合は精神的な背景を考え、うつ状態に入っているのか、
またそう状態にあるのかの視点をもって観察し、度合いの強さで精神科医と
相談をしていきます。
両者ともに程度が問題となります。危険のない状況ならば観察を続け、心
配なことが多ければ服薬コントロールも検討していくことになります。服薬
になった場合は、主訴を明確にし適性処方箋に出会うまで、服薬の実施と観
察・報告を重ねていくことが必須です。薬は全て益ではなく副作用もありま
すから、適性処方箋が決まるまでのプロセスは慎重・的確であらねばなりま
せん。とはいえ、適性処方箋を得た服薬の力は対応だけでは難しい内面的治
療を得るので、配慮した対応との相乗の下に安定した姿になることは多いの
です。適性処方箋が決まるまでのプロセスの重要性を踏まえた経過にするこ
とを意識したいと思います。
(3)豊かな老齢期の暮らしを描く
~穏やかな・安心な・気持ちのよい・笑顔の多い日々の創出~
ライフサイクルの捉え方は、一般的には年齢の基準になりますが、障害のある方たちの場合は、個人の状況の異なりを認め、単純に年齢を基準に考えるのではなく、各々の心身の衰弱の様子を捉えて、適切な環境とフォローのある場を得て暮らしていけることを考えたいと思います。
内容的には、暮らし方とその留意になるかと考えます。それは一人ひとり各人の心身の快適な一日の創出になります。しかも画一な年齢からの捉えは通用せず、各々であることが前提です。なぜならば誰でも元気で自分の求める「快い日々でありたい」と描きますが、各々の実際としての弱りが始まり「ままならず」の現実にならざるを得ないのです。まして支援を必要とする障害のある方では、支援を受ける事柄と量が当面増える傾向を見せます。その程度が弱りの程度、介助の必要性となっていくのです。
知的障害の方の現状での平均寿命が、62歳と示されていることから考えると(100歳近い方もおられますが)、心身の弱りを顕著に認められるのは、経験するところから50歳代に入る頃からです。長寿を願いながらも、承知して暮らしを描きたいと思います。
それはタイトルにあげた、「穏やかな・安心な・気持ちのよい一日・笑顔の多い一日の創出」です。知的障害のある方は、障害のために知性は弱くなっていますが、感性はかえってシャープにキャッチする特性を十分承知した支援にならなければなりません。そこで、暮らし方とその留意について考えてみたいと思います。
【健康状態の捉え】
健康状態が良好か、要注意かのバロメーターは、疾病の兆しが認められる
か否かになりますが、それと並行して次の点に留意します。
①睡眠・食事・排泄に対する生理的三原則への整えについて
これらがリズムを持って循環している状況にあれば、生理的三原則が整
っているとみて、まず良しとしてよろしい。
睡眠の一定量と質をみます。断眠や入眠時間のランダムさ等は留意が必
要です。できるだけコンスタントな入眠と時間量が欲しいと思います。
食事の偏りや摂取量の確認をして、栄養バランスを保つことを考えま
す。本人の好みに偏りがちですが、この点は食事を作る際に留意すること
です。
排泄は食事摂取量や運動とも関係しますから、毎日の便通でなくても2
日か3日間隔での排便が保てていれば良好とします。4~5日排泄されな
い場合は薬剤の使用も一考です。
②疾病についての気づきを細かく
自ら体調が悪いことを訴えられる人は、それからの対応でよろしいが、
訴えの無い人については、顔色・表情・摂食状態・動きを捉え、検温をし
て予測するようにします。
「痛さ」の訴えは、部位・強さ共に不確かな表現しかできないことが多
いので、診療を受ける方が良いと思います。検査の手立ても多くなってい
ますから、素人判断で大丈夫としないことです。何はともあれ早期発見で
す。
通院に関しても、かかりつけ医を決めていると思いますから、疾患の種
は様々としても、まずかかりつけ医を訪れ、適切な診療につないでいただ
くことです。かかりつけ医は本人の常態と異常の把握も十分だと思います
ので、かかりつけ医と連携をしていきます。
③動きの状況を捉えての、ハード面の整えについて
動きが自分でスムーズにいかなくなってきた場合のハード面は、できる
だけシンプルに整えます。各人が必要な物の配置を考慮します。ぶつかっ
たり、動きが制限されたりしないように、車いす使用になったとしても可
動域を考えての部屋のとり方、部屋内の家具の配置を考えて整備します。
その際、本人の大切にしたい物の配置は欠かせません。本人の意向も聞
きながら整備していくことです。ポータブルトイレ等の使用も必要になる
こともありますが、状況にあわせた本人の動きを動線として考慮した検討
をし、変更していくことです。日々のことになりますので、本人の動きに
くさに気づくことが大切です。
④本人のペースにあわせた対応をする
日常的な動きがだんだんゆっくりになっていく姿で、弱りの気づきが始
まることが多いです。その際の対応は、これまでのスピードや正確さを基
準にするのではなく、諸機能の低下が始まっていることに気づき、「急が
せない」「完璧を求めない」という要求水準の切り替えを支援する側がし
なければなりません。
なぜならば、精一杯やる姿勢は継続ですが、やれない状況があり、やれ
ない自分を心得ているわけでなく、やれるだけやっている気でいます。そ
れに対して、「早く」とか「きちんと」と言われると、やっている自分が
否定されている感覚になり、本人の感性は自分の負をキャッチし、気持ち
が落ち込んでしまします。この状況にさせてはならないのです。
弱りのためにできにくくなっているのですから、本人にとってみれば不
本意な評価に感じるでしょう。その意味でスピードや正確度は徐々に下げ
ての基準に変更することが支援者は必要です。そして結果的には介助する
ことになり、その量も増えてはいくのですが、その介助は必要なこととし
て対応する態度を貫くことです。
結果的に弱りのために負を感じさせない配慮という事です。要は本人に
快適であることを創り出したいと考えるからです。その点での対応が鍵に
なることをわきまえたいと思います。
(4)本人の楽しみをわかって快の共感を
趣味や関心事がはっきりしている人もおられますが、特にその種の事項を持っていない人も多いです。
前者の場合は本人にそって、出来るだけ機会をつくり、共に楽しむように考えることでよいと思います。もちろん、その事項や関心の度合いも変わりますから、決して固定したものと捉えず、本人の変わりように合わせていくことです。
後者の自分としての意向を明確にもたず、提供される事柄に反応して楽しんだりそれほどでもなかったりになる人も多いです。この場合、その反応の強弱は事柄の傾向によるところがあるので、その反応を手がかりにして提供することを考えたいと思います。同じことの繰り返しになる場合も起こりますが、やはり少しずつ反応の度合いは変わっていきますので、過刺激にならないように模索していくことです。
事柄が本人の意向にあっている、与えられたこととしても楽しさを感ずる事柄に出会う実績が大切です。同時に一人で楽しむことではなく、フォローとして付き合いながら、楽しさを共感する人のあることが展開としてより重要です。
すなわち、相手をしながら楽しさを膨らませ、より快に浸る状況をつくっていく対応です。本人の表情を読み取りながら、楽しい・うれしい感触に出会ってもらう支援です。本人の感じ取り方を捉えてのヒットする対応を心がけたいと思います。
(5)人との関係性を保つこと
心身の弱りの中で老齢期の日々の展開になりますが、その一日の場面は決して一人ではありません。健常者なら自立できている間は独居も可能でしょうが、それでも弱りを認めるステージに入ると、家族・仲間・ヘルパーなど、繋がる人の立場は異なるでしょうが、人との関係の中で展開するものです。
障害のある人たちは、ほとんど独居は困難で拠点とする場で出会う人との生活になると思います。家族とのつながりは従来から継続しているラインですから、比較的双方が関係性を保って、日々の喜怒哀楽を共有しながらも進んでいくようにも思います。とはいえ、楽観することは甘く、本人の欲求事項の変化や介護の度合いの増加に、必ずも荒い対応になることも起こる状況になることは理解しなければならないと思います。
しかし、ここで彼らは支えられての日々であり、生活の主体は本人ですが、関わる人によってその実態が異なってくるということです。その意味では出会う立場にある人(家族・グループホームの世話人・施設の職員等)は、本人が人とのつながりから得る「幸せ感」について考え、意識していきたいと思います。
本人が単に欲求が通るということではなく、人との出会い・関わりの中で己の存在を確認させてもらい「大切にされている」「快い心情の共感がある」といった整えを感情が得ることによって、抽象的な「幸せ感」を実感するのではないかと思うのです。その意味での介護・支援する者の実働が全てと言っても過言ではないでしょう。しっかりと心して支える立場を貫いていくことだと思います。
(6)適正な暮らしの場を得ること
各人の暮らしの場は、現在の制度では、家庭・グループホーム・施設(各種)に大別されます。各々の場が各人の現状や最も求める要件に適していることが望まれます。
年齢としては、65歳以降は老人福祉法に合流していますから、在宅で過ごされていて65歳以上になられた方は、老人福祉法の下での対応となります。65歳以前からグループホーム・施設を利用されている方は、希望されればそのまま同じ場で経過していくことが認められています。
この枠組みの現状にあっては、各々の弱りに合わせての環境整備ができて、快適な暮らしになることは甚だ困難な状況にあるようです。65歳以前からグループホーム・施設を生活拠点とされている人たちは、何らかの支援が必要な方たちなので、その支援が解消されることではないだけに継続になります。利用を始めた頃は自立度に合わせての適性環境を整備したのですが、年齢を重ねて容態が悪化してきた時期になったとき、ハード面・過ごしのスケジュール等々においての実態にそっての場の整備は必要ですが、決して簡単ではない現状なだけに、この点の課題は更なる長寿になるこの人たちの保障として検討していかねばならない点と考えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~